最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Charles Yu, "Problems for Self Study"(2002)

・約2150ワードほど。
・『Fakes: An Anthology of Pseudo-Interviews, Faux-Lectures, Quasi-Letters, "Found" Texts, and Other Fraudulent Artifacts』で読んだけれど、初出は『Harvard Review』の2002年秋号。ウェブに再録されていて無料で読める。チャールズ・ユウの第一短編集『Third Class Superhero』にも収録されているらしい。
harvardreview.org

あらすじ

・とある数理物質学者の人生を11のパートに分け、数学の本(の自習問題?)形式でつづる小説。
・「1.時間tは0に等しい」でまずAという人物が出発点である座標(6,3)の町から電車に乗り、x軸に対して西の方向へ時速70km/hで移動している。彼は(6,3)の町での大学の思い出を噛み締めながら、スーツケース(30kg)と論文(0.7kg; 7年分)を運んでいる。「これら与えられた情報から、Aの最終的な位置を求めよ
・Aは車内でBという女性(「Bは美人であるものと仮定すること」)に会う。どうも彼女のことが気になっているらしいAは物理学を学んでいない彼女が自分のように世界を正しく理解できているのかとふしぎに感じ、こんな問題を出す。「ある投射物が地面に対して30度の角度で射出され、その初速が100m/sの場合、どのくらいの距離まで飛んでいくか?」(第三節「相対運動」)
・Bが「風の強さによるのでは?」と答えると、Aは「風は無視するものとする」といい、Bの物理学の素養の貧困さにあわれみをおぼえる。「彼女が無視しなければいけないことについて、彼はどう説明したものだろう。風、象、クッキー、風の抵抗、朝露、ほとんどすべての新聞、ほとんどすべてのランダムな熱放散を生じさせるもの、パパイヤの味、投射物の質量、投射物の形状、他の者たちの考え、統計的ノイズ、ルクセンブルクの首都
・Aは「すべてを一定に保つ方法を理解していない女性といっしょにいられるだろうか?」と疑問を抱き、「ii. 私のために彼女は変わるだろう。; iii. 私が彼女を教育する。」と決意。
・Bは「iv. 彼は孤独であり」「v. 私は彼の孤独を減らしてあげることができる」と考える。
・第四節で、Aの持ち運んでいる論文が7年かけてしあげた非線形力学方程式に関する博論であることが明かされる。証明を書き終えて、世界に関するささやかな真理を手にしたAはそれを敬愛する恩師であるPに見せる。Pは「優美さには欠けるものの、厳密さでそれを補っている」と褒める。
・AとBは「摩擦のない傾斜を滑り落ちてい」くかのように結婚に向かう。6節の「三体問題」では子どもが産まれる。Aは子どもが母親のように物理理論について無理解に育ったらどうしようかと心配する。AはBを「教育」するのに失敗した苦い経験があった。「(d)これは天体力学の分野では『三体問題』として広く知られている」「(e)簡単に言うならば、異なる質量を持つ三つのあいだの重力の相互作用を計算する問題である」。要するに、二人の関係が子どもという三人目が入り込んだことで複雑になってしまった、という話。
・夫婦仲がだんだん冷え切っていく。Aのキャリアも行き詰まる。もはや夕食の時も夫婦は互いにひとことも口をきかない。Aは毎晩、ガレージでビールを飲みながら空想上の宇宙船を建設するようになる。
・やがて空想の宇宙船が完成。Aは空想のエンジンをかけて発進させようと試みる。するとBが必死にAを止めようとする。だが、止まらない。彼は「彼の不完全な定理、彼の不完全な家、彼の不完全な膀胱、彼の不完全な痔、彼の不完全な歯周病、彼の不完全なキャリア、彼の不完全なペニスは消え、彼の不完全な相互作用の歴史、彼の過去の衝突、彼の過去もすべて消えた」。「彼は重力的な記憶の絶え間ない引力から解放された」。
・Aは宇宙空間に進出する。「この計算なら、彼は8フィートほどの距離を移動するのに、残りの全人生ぶんかかるだろう」。明示されていないが、Aは飛び降りを図った?
・「あなたがBだと想像せよ」と地の文がいきなり命じてくる。Aから20mほどの地点にいる「あなた」はロープを持っている。そのロープを投げてうまくいけば、Aの軌道を変えられるかもしれない。もし失敗したらどうなるか。「断熱材入りの宇宙服に身を包んだこの宇宙飛行士の数メートル圏内で八十年の期間を過ごすことを想像せよ。無限の宇宙へ向かって進んでいく彼を見つめながら、そのそばに漂うことが可能であると想像せよ」。
・最終第11節の「初期条件」では第1節の情景が反復される。「彼は列車の後部に立ち、(6,3)の町を見ている。悲しみに満ちた点、ベクトルの原点、欲望の軌跡。他のあらゆる点と似た点。

感想

・傲慢な物理学者が惚れた女性と結婚するもだんだん行き詰まっていき、最後には頭がおかしくなる話、だとおもう。ペシミスティックな円城塔みたいなノリでとてもよかった。チャールズ・ユウの既訳短編は三、四作くらいあってどれも記憶に薄いというかほとんど絶無なんけれど、また読みたくなった。
・「あらすじ」部で引用した箇所はだいたい好き。
・記述形式の特異さとその必然と読みやすさとエモさと通俗性がすべて高いレベルで成立しているすごい作品。これを若干26歳で書きあげたのはさすがチャールズ・ユウというかんじ。
・チャールズ・ユウといえば2020年に全米図書賞を受賞した Interior Chinatown がむちゃくちゃいいらしいけど、どこか訳しくれないんじゃろか。