最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Richard Powers, “To the Measures Fall”(2010)

www.newyorker.com

・4900ワードほどの二人称小説。

あらすじ

・1963年、アメリカから英国に留学中の大学三年生である「きみ You」(女性)は、春学期の終わりにコッツウォルズという島を観光していた。そして、たまたま立ち寄ったジャンク屋でエルトン・ウェントワースの『メジャーズ滝へ』という小説の古本を見つける。古本にしては高価だったが、冒頭とチラ見した最終ページに惹かれたことと、文学を志したプライドから購入を決める。
・帰国後、60年代のアメリカの狂騒に身を置く内に、最初の100ページを読んだままで『メジャーズ滝へ』を処分してしまう。しかし結婚し、修士論文に悩んでいる時期に捨てたはずのその本に再会する。ひさしぶりに読み直すとその本についてのなにもかもが違って感じる。ウェントワースについての批評を読み漁るが、誰も満足する答えを出してくれない。いろんな研究書を漁るうちに、自分の所有する『メジャーズ滝へ』についている署名がチャーチルの署名によく似ていると気づく。古本屋がその本を50ドルで買い取ろうと申し出るが、「きみ」はことわる。
・結局、「きみ」は修士論文を書き上げることなく大学と文学から離れ、法律事務所で働き始める。
・子育てと仕事におわれながら八十年代を過ごしていた「きみ」だったが、あるとき『メジャーズ滝へ』が復刊されるというニュースを聞く。ウェントワースは知られざる作家として再評価されていく。93年には『メジャーズ滝へ』は文芸大作として映画化もされる。
・五十五歳になって子育ても一段落し、「きみ」は読書の習慣へ立ち戻り、読書会に参加する。そこで『メジャーズ滝へ』を課題本に選ぶが、会員からの賛否両論だった。
・wwwの時代になり、「きみ」はウェントワースについてのネット上のコミュニティに出入りするようになるが、コミュニティは内紛が置き崩壊。また、『メジャーズ滝へ』のAmazonレビューの星取りが最低になっていくのを見て複数アカウントで評価を捏造しようかとも悩む。
・定年退職間際に末期ガンがみつかり、「きみ」は入院する。娘がお見舞いに持ってきてくれた『メジャーズ滝へ』を読む。

This time, the book is about the shifting delusion of shared need, our imprisonment in a medium as traceless as air. It’s about a girl who knew nothing at all, taking a bike ride through the Cotswolds one ridiculous spring, mistaking books for life and those rolling hills of metaphor for truth. It’s about a little flash, glimpsed for half a paragraph at the bottom of a left-hand page, that fills you with something almost like knowing.

A freak snow hits late that year. You lie in bed, an hour from your next morphine dose, your swollen index finger marking a secret place in the spine-cracked volume, the passage that predicted your life. For a moment you are lucid, and equal to any story.

感想

・ひとりの女性の大学生時代から死までの四十年間を描く。当初は(親の意に反して)文学を人生にするほどの意気込みをもっていた「きみ」だったが、けっきょく修士ドロップアウトして文学研究とは関係ない道――法律関係の「労働」と、結婚と子育てという「家庭生活」へ進む(読書は書評を読む程度)。子育てが一段落すると彼女はふたたび読書へと回帰するが、老後を迎える前に病魔に侵され、亡くなってしまう。
・その四十年のあいだ、常にある作品と作家が彼女の人生につきまとい、その作品を再読していくことが小説にある種のテンポを与える。それがエルトン・ウェントワースという作家の書いた『メジャーズ滝へ』だ。ウェントワースは1888年*1で、主人公が彼の存在を見出した1962年から間もなく亡くなっている。主人公が発見した時点ではほぼ忘れられた作家であるけれど、初期作がペンギン・ブックス(日本でいうと岩波文庫)のオレンジ(クラシック=古典であることを意味する)に振り分けられているところ、それをチャーチルが「我が国のバルザック」と激賞しているところなどを見るに、少なくとも1940年代のイギリスでは評価されていた作家なのだろう。
 そういう(少なくとも自分の可視範囲では)知られざる作家を「発見」して自分のものにする喜びは読書をする人間なら誰でも経験したことがあるだろう。読む度に感想が劇的に変化することも。それが死後二十年ほど経って再評価の波を受けて映画化までされたときの微妙な気持ちも。どんな研究論文や書評や他人の感想を漁っても自分の体験と異なるものしか出てこないときの違和感も。
・ところで『メジャーズ滝へ』の映画化の面子がまた絶妙。90年代初頭のダニエル・デイ・ルイスエマ・トンプソンという「今観るとちょっと気合が入りまくっていて微妙なアカデミー賞狙いの文芸大作」に出ていた時期の二人を主演にチョイスしている。
・ともあれ、本作では、ひとつの作品が知らないうちに人生に取り憑いてくる。特に途中から脇キャラであるヒロインの母親が「きみ」とシンクロしてくる。そこがまあエモい。おそらく「きみ」にとっては『好きな本ベスト10冊』に入ってくるようなものではないんだけど、『人生の本10冊』には入ってくる、そんな作品なんではなかろうか。そういう本が誰しもあるはずだ。
・とはいえ、極端に引いたカメラの二人称で描かれる本作では、「きみ」の内心はあまりわからない。その突き放しした書き方を読者の感情とつなげるためにある手法が取り入れられている。各パートの最後には問題文風に問いかけてくる一文が出てくるのだ。それは多くの場合、択一式の選択問題で、「きみ」がすでに決定してしまって動かしがたい選択や感情についてのもので、あり得たはずの別の道が示唆される。そこでパワーズはほとんど強制的に「きみ」の内面について思いを馳せさせる。ずるい。

・本作について語っている日本語記事はもちろん少ない(っていうか英語圏のウェブでもあんまない)のだけれど、小説家の大滝瓶太が note で読解記事を出している。読みたい気持ちはあるけれど、note のプラットフォームでクレカ使いたくないな……。
note.com


 

*1:同世代の英国人作家としてはヴァージニア・ウルフやE・M・フォースターなどのブルームズベリー組、(アイルランド人だけど)ジェイムズ・ジョイスT・S・エリオットなどがいる