Kevin Wilson, "Housewarming"
【あらすじ】
テネシーのどこか。ある日、マッキーという老人のもとに息子のジャクソンから電話がかかってくる。曰く、「明日、友達を招いてHousewarming Party(ホームパーティみたいなものっぽい)を開くつもりだが、家の前の池に死んだ鹿が浮かんでいてウザい」らしい。
マッキーは新婚である息子の家まででかけていき、鹿の引き上げ作業を手伝うことになる。
その合間に、マッキーは息子の過去を思い出していく。高校卒業後、ジャクソンはテネシーを出て仕事と住居を転々としていた。連絡もろくにとれず、たまに電話してきたとおもったら、ジャクソンが警察の厄介になったというような知らせばかり。
あるとき、ジャクソンはエイミーという女の子を妊娠させたと報告してくる。喜んでいたマッキーだったが、しばらくのち、エイミーが流産してしまう。ジャクソンは怒り狂い、「わざと流産させたな」とエイミーを殴る(どうも日常的にDVを繰り返していたっぽい)。青あざを作っているエイミーの様子を見たマッキーは、息子をロープで縛り上げてテネシーまで無理やり連れ戻す。後日、エイミーからマッキーに電話が掛かってきて、ジャクソンが「いい人間」になろうとしていたが結局どうにもならなかったことと、今回の件についての感謝を伝えられる。
ジャクソンはテネシーで仕事を得て、シンディという女性と結婚する。その結婚式でジャクソンは父に感謝する。「倒産があのエイミーとかいう悪い女から引き離してくれたおかげだ」。マッキーは「そのことで感謝されたくはない」と不機嫌にいう。
鹿の引き上げ作業は難航する。父と息子の共同作業は噛み合わず、ジャクソンは悪態をつきまくり、ようやく引き上げた鹿をそのいらだちをぶつけまくる。鹿を憐れんだマッキーは死体を引き取り、家まで持ちかえる。しかし、結局はどうにかして鹿を処分しなければならない。途方にくれたまま、物語は終わる。
【感想】
これは『サウスカロライナ・レビュー』に掲載され、のちに『ニュー・ストーリーズ・フロム・ザ・サウス』にも収録されました。この話は、父親と息子が池から死んだ鹿を引き上げるという内容です。実際に、冬に私たちの池に鹿の死骸が浮かんでいて、私は凍えるような冷たい水の中に入ってそれを引き上げたことがありました。鹿はとても美しかった。でも、すべてがどこか間違っているように感じられて——だからこそ、私はそれをどうにかして物語にしなければならないと分かっていました。
https://as.vanderbilt.edu/nashvillereview/archives/4428
ちなみにケヴィン・ウィルソンはテネシー出身。
話としては「厄介な息子と死んだ鹿を池から引き上げる」だけ。なのに、全体を通してとても陰惨な雰囲気が漂っている。
ジャクソンは、警察のご厄介にはなりまくるは、恋人には暴力を振るうわで、まあろくな人間ではない。そんな息子にマッキーはうんざりしながらも、やはり親子の情からか見捨てられず、なにか(保釈や家の修繕など)頼まれるといそいそと駆けつけて助けて上げようとする。
だからといって、マッキーとジャクソンの折り合いがいいわけではない。会話にはどこから刺々しいニュアンスが混じっているし、キッチンのタイル梁や鹿の引き上げといった作業というアクションもしじゅう噛み合わない。
「家」での作業を通して「家庭」の機能不全が描かれているわけだ。アメリカ文学の古典的なてつきといえる。
上記のインタビューで引用したように、本作はウィルソンのパーソナルな体験が反映された作品なのだけれど、ウィルソン自身が投影されているのは視点人物である父親マッキーではなくドラ息子のジャクソンであるように思われる。ジャクソンは怒りを抑えきれないたちで、なにかあるとすぐにキレて悪態をついたり(弱い立場にある恋人やシカの死体に)暴力を振るったりする。それが悪習だとは彼自身わかっているようだが、結局変えられていない。
マッキーがジャクソンを縛り上げてテネシーまで連れて帰るとき、彼はこんなことを言う。
「おまえはは、ほんとうはいい子なんだ、ジャクソン。ただ怒りっぽすぎるだけだ。世の中で起こる出来事っていうのは、たいてい悪いことだ。でも、おまえはそれになんとか折り合っていかなきゃいかん。誰かを殴ったり、犬を殺したり、火をつけたりせずにな。わかるか?」
そうした突発的だったり衝動的だったりする怒りの感覚はウィルソンの、特に少年を扱った他作でもよく見られるし、ときにそれが人体発火などの超常現象と結びついてロウファンタジー化することもある。
コントロールしきれない感情のままならなさはウィルソン作品の主要なテーマのひとつだ。
