最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Alasdair Gray, ""The Great Bear Cult"(1970s?)

(ペンギン、熊に扮して議会に立つ。)


・[読んだとこ]『Every Short Story by Alasdair Gray 1951-2012』(Canongate Books Ltd)。全短編ってやつね。

・初出は解説に載ってる初出一覧表見ても出てない。おそらく1970年代? 短編集出版時の描き下ろしなら底本の出た1983年か。
・約5000ワード。例によってアラスター・グレイ自身の手による挿絵もついている。クマがかわいい。
世界恐慌により大量の失業者であふれかえる1931年のロンドンで、ある青年が「ベルリンではクマの着ぐるみを着て観光客と記念撮影をする商売が流行っているらしい」と聞きつけ、それをトラファルガー広場でもやってみたところ大ウケ。巷にクマブームを巻き起こし、さらには暴行事件で逮捕されたことをきっかけに英雄として祭り上げられ、出所後にクマカルト運動(The Great Bear Movement)の中心人物として議員に当選。一時は政権を脅かす勢いを見せるも、ロンドンで起きる連続クマ爪殺人(その名も Hidden Claw murderer! 「隠し爪」って山田洋次の時代劇みたい)とクマカルトの関連がうたがわれていき……という改変歴史寓話。
・構成としては「1931年の出来事をあるテレビディレクターが75年から振り返ったお蔵入りドキュメンタリー番組」という体で語られた枠物語になっていて、実はここに仕掛けが施されています。こうした語りの構造といい、当時の英国の社会情勢をディープに反映した(してそうな)細部といい、同作者で今年話題の『哀れなるものたち』とかなり通じるところが見受けられる作品。
・とはいえ、本筋自体はシンプルで、ドキュメンタリー番組の書き起こしというスタイルもあって、読みやすいことは読みやすい。読むだけなら。細かい歴史的背景調べるのにかなり時間がかかった。知らないよ、戦前の英国の政局なんて。
イングランドには野生のクマがいないんですけれど、プーさんといいパディントンといい、クマの人気キャラが多い。ルパートはこの短篇で初めて知りました。
イングランドのクマネタでいうと、ミック・ジャクソンの『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』(東京創元社)なんかも思い出しますね。
・ドイツから”クマ”を取り入れて草の根から政治的ムーブメントを作り出す、というのは共産主義とかファシズムとかの寓意を読み込むことはできそうなのだけれど、今はそんな知識も元気もない。深夜の二時です。
・一方で市民の獣性を”檻”に入れて(脱走クマのサブプロットも呼応している)、挙国一致体制で戦争に進んでいくさまはそれだけでわかりやすい全体主義や権力批判というか。そこらへんもよくわかっていないアリスター・グレイの伝記的背景を読み込むとおもしろそうだけれど、深夜の二時です。
・"Bears are strong, but bears are gentle!"というキャッチフレーズの gentle は gentleman を意識してそう。勘ですが。
・ラストシーンの解釈はみなさんで考えてください。


以下あらすじ。ネタバレと誤訳&誤読解注意。

・1975年、テレビディレクターである語り手がベルリンのギグから戻ってきたばかりの詩人にしてポップシンガーのピート・ブラウン(実在の人物)との会食の席で、ベルリン土産として一葉の写真を渡される。それはピートがクマと腕を組んで記念撮影している写真だった。街の名の由来をクマに持つベルリン*1には、クマの着ぐるみを着て観光客と写真を撮ってくれるペアの写真家がいるらしい。
それを見た語り手は、ふと、幼かった1930年代に体験したイギリスのクマカルトブームを思い出す。そうして、当時のことを取り扱ったドキュメンタリーをBBCに提案するが、却下されてしまう。
そこで語り手は「 読者の皆さんが、心の中のテレビ画面でこの番組を恐れず見てくれることを願って」、その番組内容の断片をシーンごとに紹介していく。

ウォール街に端を発した世界恐慌により混迷極める1931年、国内に300万人の失業者を抱える厳しい経済情勢のなか、イギリスでは元社会主義者のラムゼイ・マクドナルドが首相に就任*2
・観光客相手の記念撮影で日銭を稼いでいる写真家のヘンリー・バズビーは、ロンドン動物園に新しく迎えられたクマ*3を見ようとひとびとが何百人に列を成す様子と、「ベルリンではクマの着ぐるみを来て観光客といっしょに記念撮影をする写真家がいるらしい(」という噂、それに『くまのプーさん』や『ルパート』といったキャラクターたちに霊感を得て(「クマは人気がある」)、相棒であるジョージにクマのきぐるみ(毛皮)を着せ、商売のためにトラファルガー広場へ繰り出す。目論見は見事的中して荒稼ぎするものの、翌日になると他のカメラマンたちも「クマ」を連れてきていた(「ツキノワグマ、シロクマ、コアラの格好をした子供までいる」)。ヘンリーたちはライバルに抗議するも、それが乱闘へと発展し、クマたちは逮捕されてしまう。
この騒動がマスコミにとっての格好の報道材料となる。暗澹たる世の中で、数少ないコミカルなニュースだったからだ。これにより英国のクマ人気がさらに白熱していく。ロンドン動物園のクマ檻の行列はさらに長くなり、Teddy Bears' Picnic という歌アイルランドと英国で人気を博した子供向けコミックソング)がどこでも歌われるように。さらに毛皮業者が子ども向けクマスーツを販売しはじめる。
・そんななかジョージが子どもたちから馬鹿にされたことがきっかけで群衆とトラブルを起こして裁判にかけられる。そして、判事から「英国を原始的で野蛮な時代へ逆行させようとしている」と非難を浴びて禁固刑を課せられる。
・なにか言い残すことは?と判事に問われたジョージはここで一世一代の演説をカマす。
「わたしはわたしをからかった子供たちを責めるつもりはない。 その責任はかれらを止められなかった親たちの責任だ。わたしはわたしを襲った乱暴者たちを責めることはできない。その責任は、かれらから真っ当な職を奪い、通りをうろついて罪のない動物に嫉妬するような真似しかできなくさせた社会にある。 わたしは無実だ!」そして、この名台詞。「クマは強い、だがクマはやさしい!(Bears are strong, but bears are gentle!)」
・ジョージはたちまち民衆を支持を得て、釈放を訴えるデモが盛り上がる。ジョージが刑務所から出てくると支持者の大歓呼に出迎えられる。熱に浮かされたジョージは「われわれは組織にならないといけない!」と叫び、ここにクマカルトが誕生する。
クマブームはたちまち全国へと飛び火していき、ついにはバッキンガム宮殿の衛兵のヘルメットまでクマの皮に。*4
ジョージは「クマは強い!だが、クマはやさしい!」を合言葉に支持者を増やしていき、補欠選挙共産党候補を破って国会議員に当選。クマの姿で議会にも出席。
・一方で街ではクマの爪で引き裂いたとおぼしき猟奇殺人事件が次々と発生。切り裂きジャックかよ。
・議会ではこの連続殺人が取り上げられるとともに、野党の党首はクマになったひと(bearskins)が増えたのは政府が石炭の供給に失敗して市民が毛皮で厚着する必要が出てきたせいもあると首相を非難。
かたや首相は暗にクマカルトが連続殺人に関係しているではと示唆するが、ジョージは立ち上がって自らの運動(the Great Bear Movement )を擁護し(「クマには爪があるが、その使い方を知っている!」)、犯人は素顔がむき出しにされた人間*5であると断言する。
ロンドン警視庁は熊爪殺人鬼(Hidden Claw murderer とあだ名される)に対抗するために高さ八フィートのグリズリーの着ぐるみ(鋭い爪つき)をパトロール時の制服に導入。そして、ついに警察は殺人鬼とおぼしき人物を逮捕。その容疑者は東クロイドン労働党に勤めるおばを持つ小男だった。ジョージはトラファルガー広場での演説で、逮捕されたのはあやつり人形にすぎない(裏に連立政権の中心たる労働党が隠れている)と民衆を煽り、扇動されたクマたちが各地で労働党の事務所を襲撃。大勢が逮捕される。
マクドナルド首相は解散総選挙を宣言し、ジョージは次の選挙で260人以上の候補者を立てると発表する。
・逮捕されていた小男は結局証拠不十分で釈放される。しかも、彼の勾留中にも例の殺人鬼の仕業とおぼしい事件がつづいていた。
・捜査が行き詰まってきたところに、ロンドンへ派遣されてきた有名な法医学の権威が「事件は本物のクマの仕業である可能性が高い」と結論づける。はたして警察が調査してみると、ある金持ちの屋敷からつがいのクマが脱走していた事実が判明。
・これを好機と捉えたマクドナルド首相はテレビで国民に「殺人グマを捕らえるために、公共の場でクマの格好をすることをしばらくのあいだ禁止」する旨が閣議決定されたことをアナウンス。
・「結局のところ、クマへの崇拝は誤った理解にもとづいていたのだろう。クマは強い。だが、つねにやさしいわけではないのだ」
・この放送によりクマカルト熱は急速に落ち込み、ひとびとはクマの皮をゴミ箱にほうりだす。ジョージは必死に組織をつなぎとめようとするが、力及ばず、総選挙で大敗北。自身も議席を失う。そのあいだに脱走していたクマも発見され、所有者のもとへ送り返される。
・総選挙では連立政権側が大勝利*6
・番組はここでスタジオに戻り、コメンテイターが社会人類学者グロットマン教授にクマカルト運動の背景の説明を求める。グロットマン教授は「1931年の石炭不足に原因があったことは明らか。クマの毛皮を着ている方が暖かった。運動が政治的に崩壊していったのは動物種としてのクマに対する幻滅のせいではなく、国民の完全雇用を約束する第二次世界大戦がすぐそこまで迫っていたのをみなが感じ取っていたから」だという。「この運動を終わらせたのは、実は未来への希望だったのです」
・老人となったジョージ・バズビーへのインタビュー。パディントンやプーさんなどのクマクッズに囲まれた部屋に住んでいる。彼は未だに31年当時の毛皮業者に感謝されており、かれらから送られてくる小切手で暮らしている。「わたしの運動は未来を先取りしていた。だから大人たちは忘れようと決めたんだ。だけど、子どもたちは覚えている。子どもたちは、ただ知っているんだ。クマたちはいずれ帰ってくるよ。窮地に陥ったイングランドを救うためにね」
・ジョージ老人は部屋においてある実物大のパディントン人形*7をぼんやりと見つめて夢に浸る。カメラはズームアウトしながらゆっくり遠ざかっていき、やがてスタジオの風景を映し出す。
・なんと番組スタッフはみなクマの姿をしていた。グロットマン教授も撮影が終わってクマの毛皮を着直している。ディレクター(シロクマ)が教授を飲みに行こうと誘い、みなでスタッフバーへと繰り出す。

*1:実際にそういう説がある。ベルリンの旗にはクマがあしらわれてもいる。ドイツ(というかヨーロッパ)はクマがかつて王権の象徴だった関係上、トーテム的なモチーフとしてのクマがそこかしこに潜んでいる。同時にクマはキリスト教以後には排除されるべき野蛮の象徴として、しばし虐殺の対象にもなった。詳しくはミシェル・パストゥローの『熊の歴史』を読もう。

*2:マクドナルドは史上初の労働党の首相でもある

*3:このクマのことはちょっと調べてもよくわからなかったのだけれど、ロンドン動物園のクマといえばプーさんのモデルになったWinnipeg。このクマは34年まで園にいた

*4:このへんは時勢に適応する英国王室のしたたかさが表現されている

*5:a bare-faced human: bear と bare(裸)をかけたダジャレ。クマダジャレとしては割とポピュラーで、ディズニーの『ジャングル・ブック』でも The Bear Necessities というミュージカルソングがある

*6:史実では保守党が地滑り的大勝利をおさめたものの、マクドナルドは挙国一致内閣の首相として職に留まった

*7:1.2メートルくらい