最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Theodore Sturgeon, "How to Forget Baseball"(1964)

・初出はアメリカの総合スポーツ情報誌 Sports Illustrated (1964年12月21日号)。ネットの風聞によると同誌に掲載された唯一のSF小説だとか。ほんとかな。読んだのは Gateway 発行のスタージョン全集第11巻 The Nail and the Oracle (2013年、電子版)
スタージョンの小説って訳文でさえ私の手に余るところがあり、英語だとなおさら理解に自信がない。

■戦争(おそらく核戦争)から四十年ほど経った近未来。荒野で自然派な生活を営むプリミティブスというグループのひとびとに、ビリーという名の宣伝マン(a flack)が〈クオイト(Qouit:元は「輪投げ」の意味)〉なるスポーツを売り込みにやってくる。プリミティブスの一人であるアウザー氏(Mr. Ourser)が「ここいらじゃみんな野球をやっている」というと、ビルは「野球なんて理解し難い」と独自のジャーゴンに溢れた野球の煩雑さ、そしてなにより「死体のように何もかも静止している」ことをディスり、常に何もかも動いているスポーツの方がよいのだと主張して、アウザーを街のクオイト競技場へと連れ出す。ビルは「クオイトはゲーム理論に基づく最初のゲームなのだ」*1と説明するが、果たしてそこで展開されるのは、競技名ともなっているドーナツ型の切断マシン「クオイト」がフィールドを行き交いプレイヤーたちを切り裂く残酷暴力競技だった。ちなみに切断されて四肢がバラバラになっても痛みはなく、医療班によってすぐくっつけてもらえるから安心です。眼前に繰り広げられる血みどろの光景にアウザー氏もドン引き……かとおもいきや、逆にすっかり魅了され、ビリーに「うちにもクオイトのスタジアムを造れないか」と相談する。

▲架空競技もの。未来のスポーツがスポーツの起源に先祖返りしたような残酷殺人競技になっているというのは『マーダーボール』を始めとしてわりとある*2けれど、本作は「プレイヤーたちは暴力に対して痛みを感じず、死にもしない(とビリーは主張している)」という点で、幾分陰惨さが差し引かれている分、狂気の度合いはあがっている気がする。
・いちおう、テーマとしては資本主義の貪婪さ、とでもいえるようなところがあって、とろとろとした旧世代のスポーツの愛好家である田舎者のアウザー氏が、即物的で刺激的な都会の”味”にヤられてセールスマン・ビリーの掌中に堕ちていく……みたいな感じともいえなくもない。ちなみにビリーは独特のなまりがあり、アウザー氏のことを Dude みたいなノリで「Classmate」と謎に呼びかけてくるのだが、これが最後に実は彼が田舎者であるアウザー氏を下に見ていたことの発露だったと明かされる。しかし、同じスポーツを愛することで、ふたりは同じ class になっていくのだ。いかにもアメリカ人の見方っぽいですね。
・もちろん途中でクオイトの説明が事細かになされる。架空競技ものにはありがちだけれど、ルールの建付けそのものはあまり愉快そうには見えない。

*1:得点の計算が独特で、観客がゼロサムかノンゼロサムかを投票で決定してそれに基づいて配分する云々という話だった気がするがよくわからない

*2:未来人に和製野球用語がストレートに伝わった結果野蛮なことになっている日本作家の短編を何かアンソロで読んだ気もするけど、誰のか忘れた