最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

サ!脳連接派『PROTOCOL TBD』(2023)




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予約してない病院の待合室に1000人ぐらい並んでて無限の待ち時間が生じているあいだ(診察からは絶え間なくギロチンの刃が落ちる音と悲鳴が聞こえた)に読んだ。
大戸又氏率いる日本三大本格SF同人アンソロサークル、サ!脳連接派の新刊。今回のテーマは「サイバーパンク」。このサークルにしては、めずらしく、わりと直球なテーマ選びなのだけれど、寄せられた作品はどれもサイバーパンク+1といった感じでちょっとひねってくる。 そのひねり具合において豊かなアンソロジーだ。
個人的にはサイバーパンクは好きでもあり苦手でもある。好きな理由はよくわからないけどかっこいいからで、苦手な理由はかっこいいけどよくわからないからだ。


以下、特に必要のある場合を除いて作家や作品のアナロジーは用いない。なにか読み違いなどがあったら教えてくれ。


超田デルソル「おそれおおくも」

・生体信号の加速によって脳と身体の機能を向上させているのが当然となった未来の新宿歌舞伎町。涼子(源氏名は美空)はSMクラブの女王様としてエリートから搾り取った金をホストクラブで浪費していた。ある日、ホスト帰りの彼女がべろんべろんになっているとひったりくりに遭遇。そのひったくりの前に帯刀した若い女が立ちはだかり、白刃一閃、鞄を取り返してくれる。乙女という名のそのサムライ女はどうやら裏世界で暴力装置として生きているらしい。涼子は流れで乙女との共同生活♡を始めることに……という百合。
・高度に加速化した社会で最も加速するのは人のコロロであり、それはやがてぶっ壊れから虚無へと至る。本作はそうしたぶっ壊れと虚無をあらかじめ内包していて、SMやホスト遊びといったモチーフも「ごっこ」であるという涼子の冷めた視線が貫かれているわけだし、涼子ほどに俯瞰できない乙女(名前通りのそのピュアさゆえに)は加速の果てにぶっこわれるしかない。速度と崩壊しかない街。そういう意味で舞台が新宿歌舞伎町なのは必然なのだろう。わたしは歌舞伎町は二回くらい通ったことしかありませんが。
サイバーパンク三種の神器といえば、ネオン、スシ、カタナであり、そのすべての要素が含まれている。そういう意味で、「らしい」作品を頭に持ってきた編集意図も伺える。

根尾はやね「神の意思を見よ」

・左右のこめかみに埋め込まれたブレイン・マシン・インターフェース(BMI)によってネットに繋がれバイタルも完璧にできるようになった便利な社会。BMIの事故によって偶然カオスな未来を比較的精緻に予測できるようになった「予測屋(プレディクタ)」のニシノは、記者である知人のヨコザワから人探しを依頼される。探し人とは新興宗教団体である『偉大なる未来を望む会』の教祖だった。彼らは不穏な動きを見せる教団の根拠地へと乗り込む。ふたりいっしょに、といっても、ニシノが単身「取材」に行くヨコザワの視覚に相乗りする形で。
サイバーパンクで探偵っぽい人間や目的設定が出てきたらふつうハードボイルドを志向するわけだけれど、本作はある程度は乾いた感触はあるとはいえ、わりと直球でミステリをやる。ニシノが安楽椅子探偵で、ヨコザワは地道にてがかりを集める助手といったポジションで、そうした古典的な関係がサイバーな技術によって一人の身体にいわば「憑依」する形になっているのがユニーク。
・ニシノは全知(視覚シェア)全能(未来予測)的な、いわば神に近いともいってもいい存在なのだけれど、しかしそこにシニカルなねじりを食らわせてくる。技術によって人間は神より偉大になれるのかはサイバーパンクのテーマのひとつではあるとはおもうんだけれど、それを嫌味のないカラッとした筆致で書くところもまたユニーク。

水町綜「特甲アゲインスト・ザ・マシーン」

・ひ弱な少年シューゴはある日、かねてからの憧れだった局地特化型強化装甲服、通称「特甲服(トップク)」を手に入れる。ゴミ山から発掘された真紅のそれはかつてたった七人で地域をシメた伝説の族(チーム)「薔薇津怒」、その頭だった男の愛機「震怒」だった。震怒を使いこなすためにトレーニングを積むシューゴだったが、震怒を狙って街を支配する巨大コングロマリットの魔の手が迫っていた……
・ヤンキーものとサイバーパンクのマリアージュ。各所で笑いを効かせながらも、真っ当な成長ドラマが芯に貫かれていてパねえな。
・《爆PSY》を筆頭に絶え間なく高密度で繰り出される造語はヤンキー・地方都市文化*1のパロディで、その一貫性が世界観を強固にしてもいる。
・優れた引用は優れた解釈でもある。たとえば、本作では映画監督の石井聰亙(岳龍)を意識した造語が多いのだけれど、そういえば『狂い咲きサンダーロード』は人間がバイクになる話だから実質パワードスーツなテックパンクじゃん、と思い至らせてくれる。そして、その機械へと変性していく肉体は間違いなくサイバーパンクなのだ。
・編者あとがきに本編はもともと別のアンソロのために書かれたものだとあって、たしかにサイバーパンクありき感は薄い。でも、ちんちんを揉むのはサイバーパンクだと思う。*2

山本情次「stand by」

・子供である「あなた」の脳に補助用の知性モジュールがインストールされ、不在の両親の代わってベビーシッターがわりに日々の生活の助言を行う。しかしその過程で……。
・全編が同一人物(っていうかAI)の語り掛けのセリフで成る実質二人称小説。AIの語りがクールなおかげで読み味はフラットなのだが、劇中の現象としてはわりととんでもない起こっていて、「あなた」の人物像も一筋縄ではいかない。変化球で描かれるピカレスクロマンといった趣。「あなた」視点で書いていれば結構派手でエモーショナルな話になったとおもうのだけれど、そこをあえて定点カメラたるAIの視点で書き切ったのは上品というか、そうですね、その良さをこう申しましょうか。

阿部登龍「ここにネコはいない」

・〈ミートストーム〉という厄災によって動物のほとんどが死に絶え。生殖が人類の営みから切り離されて企業によって厳格に管理されるようになった未来。父親の遺伝子のみから作られた十歳のダニエルは、七歳上のシッター役であるディーから街の外にある「牧場」に本物のネコがいると聞かされる。かれらは家を抜け出してネコを見に行こうとするが……というジュブナイルSF。
・食肉産業を中心にアニマル・エシックスに触れるネタがよく顔を覗かせる。人間の営みのグロテスクさを現代と断絶した未来の人間に気味悪がらせることで文明批評的なことをやらせるのは、ややもすればわざとらしさが前に出がちなんだけれど、本作はそのへんの出しかたがなめらかで(子どもを主人公にすることの強みでもある)エグみが少ない。過去に起こったカタストロフはあまりに甚大でなかなかその後の在り方が想像しづらいのだけれど、ある種の人類が生命を管理しすぎた果てに生じた破滅であるのに、その破滅のあとにはさらなる生命の管理(ある意味で人間が家畜化される)であるというのは皮肉が効いていておもしろい。
・そうした歯応えあるシリアスさに、濃厚に煮出したおねショタを注いでくるのでどういう顔をすればよいのかわからないところはある。

船戸一人「ビカム・ヒューマン」

・ビカム・ヒューマンといえば最近でいえばデトロイトなのだが、関係はないっぽい。
・シンギュラリティから五百年経った世界。かつて人類を混迷から救った「神」が冥王星付近で眠っている状態で発見された。肉体を与えられた機械知性である「神」は文字通り神のような力を有している。その力は人類にとって脅威であるとともに、魅力でもあった。この「神」の処遇や如何ー未来の帰趨を決める人類会議が召集される。
・クラシックな装いに今まさにナウいテーマをいじわるかつシャープに突きつけてくる。オチのアイデアが重要な話になのでなかなかそこについては多くは言及できないのだけれど、「AIは人類を冷酷に支配する神になるのか?」という問いにうろたえている今のわれわれに対する警句になっているのかもしれない。神とは我々の頭より大きいから神なのだ。

坂永雄一「八岐の国」

・「八岐の囗」といえば最近でなくてもボルヘスなのだが、関係はないのかもしれない。
・谷蛙(たにのかえる)という名の女夢盗賊が夢の中で呪い師たちと繋がって都の文倉から書を盗もうとしていると、すんでのところで謎の妨害が入る。友の一人がいうにはそれは八岐の大蛇のせいらしい。彼女は、あるとき拾った経典から、大蛇を殺す秘宝の存在をする。経典を盗み出した蛾男という死者をとも連れに、彼女は旅に出る。
・日本神話を下敷きにしたわりとハイブラウな中世和風ファンタジーで、文章の組み立てが端正かつ稠密。夢を使った呪術がおもしろくて、他人(死人でも可)の書きのこしたものを丹念に読んで夢の中で「面影」を再構成することでその場にいない人物ともリアルな対話が可能となる。そのようにして「語られること」、すなわち物語が劇中においてキータームになっていくわけだけれど、そこに日本の建国神話をからめてくるのが壮大かつハッタリが聞いている。文体自体があまりに平然としているのでハッタリをハッタリとも思わせない塩梅。

大戸又「サハスラブジャの蓮華座」

・太陽系外のどこかにある惑星シェオール。二つの惑星から持ち込まれるゴミとスモッグで荒廃したその星で、サープは原住民であるシェオール人(タコに似ている)の行方を探していた。異形の調査員、サープには気になることがあった。シェオール人の請け負っていた別惑星からのゴミの処理を、どうも機械義手たちが代わりにこなしているようなのだ……。
・仏教的な語彙とウィアードでビザールなイメージが横溢する短編。そのせいで序盤はとっつきづらさもあるけれど、けなげでかわいい義手くんたちがいくらかオブラートの代わりを果たしてくれる。シェオール人がタコっぽいという設定なのも、最後のこれやりたかったのか〜という神々しさとしょうもなさの同居した絶妙な絵面につながっている。
・主人公は開始時点で四回死んでる充分ポストヒューマンなのだが、意外に人間臭いいいやつだったりするよ。

*1:そういえば、「マイルドヤンキー」って誰も言わなくなりましたね。みんなサンデルでも読んで差別性に気づいたのでしょうか

*2:サイバーパンクとヤンキー(不良)は相性がいいのかもしれないなと感じたのはフィクション由来ではなく、90年代ゲームセンターにおける『バーチャファイター』の競技シーンを描いたノンフィクションである『TOKYO HEADS』を読んだときだった。そのなかのプレイヤーのひとりがバイク好きの元ヤンキーなのだけれど、プログラマーでもあって、自分でプログラミングしたゲームを通販して稼いだ金で愛車をいじっていた。いうまでもないことだけれど、昔のゲームセンターという「悪所」も、不良とオタクという行き場のないもの同士が交わる場だった。