最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Kevin Wilson, “Excerpt from the Big Book of Forgotten Lunatics, Volume 1” (Hobart, 2012)

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あらすじ

・約1200ワード。
・タイトルを訳すと「『忘れられた狂人大全 第一集』より抜粋」。マイナーな狂人を集めて紹介する本からひっぱってきた文章です、という体裁。
・この項では「失踪する野球選手」ことモーゼス・ケイジ(1960-?)が紹介される。
アトランタ・ブレーブス左翼手としてデビューしたケイジは目立った成績も残せず、1985年にNPB日本ハムファイターズへ放出される。試合中、自分のバットでうっかり自分の顔を打ったことをバラエティ番組で取り上げられ、「潰れ鼻のモー」のあだ名で一躍お茶の間の人気者となる。ところが日本での二年目シーズンの途中、彼は謎の失踪を遂げる。
・日本での失踪から三年後、韓国の球団・三星ライオンズの入団テストにこつ然と登場。銀色のジャンプスーツという奇天烈な装いでマウンドに上がったケイジは、投げては(ピッチャーとしての経験がほぼゼロだったにもかかわらず)時速160キロの剛速球を繰り出し、打っては十四打席連続ホームランを放ち、見物人たちの度肝を抜く。マスコミにこれまでの所在を訊かれた彼は「サーラ・シャーンという伝説の都市に通じる道を見つけ、そこでラプタの奥義を学んだ」と答えた。結局、韓国球界入りはせず、メジャーへ出戻る。
・帰国したケイジはシカゴ・カブスと契約を結び、マダックスやサトクリフといったレジェンド先発陣の三番手として期待され、当番のない日は野手として三塁を守る二刀流にも挑戦する。シーズンが開幕すると投打に渡る大活躍を見せる。パッとしなかった若手選手時代からは想像できない姿だった。
・覚醒の秘密について訊ねられたケイジは「サーラ・シャーンの偉大な司祭の方法論を学んだ」などと煙にまく発言ばかりする。チームメイトのマダックスはそんなケイジの態度に不快感を示す。
カブスの本拠地で長年ビールの売り子をしていた男の回想録が紹介される。ケイジが打撃練習中、「椅子の脚が折れたような音」がしたので眼を向けるとフィールドに粘ついた赤い塊が転がっていた。他人がそれを見ようとすると、突然、身体がこわばって昏倒してしまう。元売り子は「あれがなんだったのかは見当もつかないが、生き物から生じたものではないか」と推測。
・ケージはその年のシーズン、打者として打率三割五分七厘、本塁打四十五本。投手として二十四勝七敗、九完封という破格の成績を残す。もっともオールスター前は本塁打記録と連続勝ち星記録を更新する勢いだったので、夏場からの失速さえなければと惜しまれもした。ケイジ曰く不調の原因は「サーラ・シャーンの巨大な心臓のオブジェから離れすぎたこと」と「アメリカの食事が合わなかったこと」のふたつにあるという。そこで彼は日本企業と共同でサーラ・シャーン由来の固形食品(フルーツとオーツ麦で出来ている)を開発。その名も「モモ・バー」。歴史家のテッド・リーマーによるとこのネーミングは「ケイジの日本に対する異常なまでの愛着」にちなんでいるらしい。モーゼスの愛称である「モー Mo」は、日本語では「モエ Mo-eh」と発音され、アニメキャラに対するフェティシズムや愛を意味する。日本のファンにとってケイジはアニメキャラと同じくらいに奇妙で驚くべき存在なのであった。ちなみにマダックスは「モモ・バー」について「神がかり的なまでに腐ったような臭いがする」とコメント。
ナショナルリーグ優勝決定シリーズ(対サンフランシスコ・ジャイアンツ)の第三戦でケイジのキャリアは唐突に終わることとなる。守備に就いていたカブスの選手たちがベンチへ戻るなか、ケイジはちょうど三塁線を越えたところで消失した。審判やグラウンドキーパーが試合を中断して捜索したものの結局ケイジは発見されなかった。カブスのチームメイトたちはケイジの失踪直前に「遠くから呼んでいるようなうつろな声」を聞いたと証言した。ケイジの行方は未だにわかっていない。



雑感

・同作者の既訳作「今は亡き姉ハンドブック」(『地球の中心までトンネルを掘る』所収)を彷彿とさせる事典形式の一篇。
・『ユニバーサル野球協会』のワンエピソードといっても通じるかもね。めちゃくちゃな活躍したり、いきなり失踪したりはよくあるギミックなのだけれど、日本やMLBの描写の細部が愉快。
・面白外国人助っ人が珍プレーで人気者になるくだりは、当時の日本の野球文化に詳しくないとなかなか書けないのじゃかろうか。その一方で、「Mo という愛称は『萌え』に通じる」と強弁するあたりは雑すぎて、このひとの日本理解はなんなんだという気持ちになる。1980年代に「萌え」にその用法はないでしょ。
・ケヴィン・ウィルソンはよく日本要素ものを作品に持ち込む。主題級で出てくるところで邦訳されているものだと、日系人家族の遺産相続騒動を描いた「ツルの舞う家」(『地球の中心までトンネルを掘る)』所収)。使う手筋はオリエンタリズムっぽくて、彼の中でなんとなく「ここではない、遠い場所」でまっさきに思い浮かぶのが日本なのだろうか、といった印象。
・ S’ahra-Sharn(サーラ・シャーン)とはマーベルコミックのスーパーヒーロー、シャン・チーの初期出演作に出てくる悪のアジトみたいな場所らしい。もしかしたら途中で出てくるサーラ・シャーンがらみの超常描写はマーベルパロなのかも。詳しくは不明。こういうオタクネタというか、子供向けカルチャーネタもウィルソンの十八番。
・シャン・チーの元ネタはブルース・リーなので、サーラ・シャーンもどちらかといえば中国とかそのへん(響き的にはインド?)のものだと思われるのだけれど、本篇中では日本とひもづけられている。
・90年前後のMLBネタも見逃せない。マダックスは史上九人目の通算三百五十勝投手となった伝説的野球選手。ケージがメジャー復帰したシーズンは史実でもカブスナショナルリーグ優勝決定シリーズへ進出しており、やはりサンフランシスコ・ジャイアンツに敗れている。第三戦の試合経過は英語版の wikipedia に書かれているものの、特になにかアクシデントが起こったような記述はみあたらない。
・「日本から来た選手が二刀流でメジャーを風靡」は最近の大谷翔平を思わせる(特にオールスター直前までタイトルに手が届く活躍を見せていたあたりも)が、本作の初出は二〇一一年。予言的といえば予言的。