最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Joseph Conrad, "The Duel"(1908)

あらすじ

・約三万ワード。もはや短編じゃねえ。
・正確なあらすじや作品背景については、わたしのものについてはたぶんちょくちょく間違っているので、詳しくは英文学研究者の秋葉敏夫の論文「名誉と決闘と人生と――コンラッドの『決闘』について」を読んだ方がいい。ウェブで公開されていて無料で閲読可。

bunkyo.repo.nii.ac.jp



第一章
ナポレオン時代のフランス。フェローとデュベールは同じ連隊に属する中尉だった。師団長直属でもあったデュベールは将軍からの命令を伝えるため、フェローの宿舎を訪ねる。民間人と決闘してトラブルを起こしたフェローに対し、宿舎で謹慎するように、と命じる内容だ。ところがフェローは不在で、留守番のメイドを問い詰めるとマダム・デリオンという貴婦人に会いに行っているという。
マダム・デリオンの邸宅に到着したデュベールはやっとのことでフェローに謹慎命令を伝える。すると、フェローはマジギレする。その怒れる様を見たデュベールはフェローのことを「このチビはイカれ野郎だな(The little fellow is a lunatic)」と内心感じるが、言葉の上ではなだめすかそうとする。
ところが、フェローは崇拝する貴婦人との面会中に不愉快な命令を伝えてきたデュベールに対してもキレ、剣を抜いて決闘をふっかける。デュベールは困惑しながらも防戦し、フェローに土をつける。
相手は殺してしまうかもと心配したデュベールは決闘後に連隊所属の医者を訪ね、フェローの治療を頼む。連隊内で私闘をしたことでデュベールは名誉を失い、降格させられる。


第二章
将校同士の決闘は巷間のうわさの的となり、デュベールは自分のキャリアや評判に傷がつくのではないかと不安になっていた(仲間意識からフェローの立場も心配していた)が、戦争の勃発で部隊内での調査がうやむやに。もちろん戦争中は決闘などできない。
しかし、戦争はすぐに終結し、二度目の決闘が行われる。フェローが勝つ。
無用な同士討ちをさけたいデュベールの上官(大佐)はデュベールに仲裁を買って出るが、デュベールのほうは上司にチクる臆病者と言われて名誉が傷つくのをおそれてその申し出を拒もうとする。自分が名誉を守ることが連隊のためでもあるともいう。
結局、大佐はデュベールにフェローへの接近を一年間禁止し、デュベールを昇進させる。
決闘は同じ階級のもののあいだでしかできない決まりだ。上官になった以上、フェローはデュベールへ挑むことができなくなってしまった。それが「逃げられると思っているのか」とフェローの執着に油を注ぐ。彼にすれば昇進は陰謀であり、上層部がお気に入りの士官であるデュベールを保護しようとしているのだ。
フェローは元来出世に興味の無い人物だったが、決闘のため俄然出世を志すようになる。
アウステルリッツの戦いの直後、ふたりはシレジアで三度目の決闘を行う。見物人たちがおぞましさをおぼえるほど互いにボロボロの血まみれになり、痛みわけに終わる。
ドイツ・ポーランド戦役へ赴くころには、ふたりは大尉になる。そんな折りにデュベールは妹から結婚の報せを受け取り、お祝いの手紙を書こうとするがどうも気鬱で筆が進まない。しかし翌日の決闘(四度目)でフェローの額に深手を負わせて勝利すると、フェローが自分の人生に影響を与えることはないのだという前向きな悟りを得、妹への祝辞を一挙に書き上げる。
その後もふたりは戦歴を重ね、ロシア戦役を前に大佐へ昇進。

第三章
モスクワからの悲惨な敗走。もはや組織の体をなしてない軍を率いるふたりは、互いに無視しあいながらも追撃してくるコサック兵を肩を並べて撃退する。寄り添いながらロシアを脱出したことで少しは仲良くなったかとおもいきや、関係はまったく改善されない。帰国後、将軍に昇進したデュベールを、フェローは「あの男は皇帝を敬愛していない」とディスる。皮肉にもこのことばがデュベールの評判を形作り、大陸軍内での地位を低下させ、しかしてのちにデュベールの命を救うことになる。
壊滅状態のフランス軍が急速に再編成されるなか、フェローもまた将軍になる。
戦傷を負って妹夫婦の家で療養中だったおかげでデュベールはナポレオン没落時の混乱を運良く回避し、反ナポレオンの評判もあって王党派のもとでも地位が確約される。ナポレオンがエルバ島から脱走したというニュースを聞いたデュベールは皇帝のもとに馳せ参じようと不自由な身体を押して馬に乗ろうとするが、叶わない。
百日天下が崩れた後にようやくデュベールは療養先からパリに帰還し、そこで熱烈な歓迎を受ける。一方でフェローは王党派によって逮捕されて、特別委員会にかけれて銃殺刑直前だった。
会食の席でフェローのうわさを耳にしたデュベールはフェローに対する謎の情が湧いてくる。彼は警察大臣フーシェに面会し、フェローの助命を乞う。容れられないならば軍を辞するとさえ言う。
フーシェは訊ねる。
「このフェローという男はあなたの親族ですか?」
「まったく、何の血縁もありません」
「親しいご友人?」
「親しい(intimate)、ですか……そうですね。我々のあいだには分かちがたい(intimate)つながりがあり、それが私を名誉に駆り立てるのです」
フーシェは処刑リストからフェローの名前を外す。デュベールは「私が免罪に関与したのは内密にしてください」と強く念押しする。フェローは釈放され、パリから追放される。


第四章
デュベールは四十歳になっている。妹の世話でアデルという若い女性と婚約する。名誉と戦いに明け暮れた彼も穏やかな家庭生活を送るようになるのか……と思われたとき、「フェローの友人」を名乗る男たちが彼の前に現れる。フェローが決闘をやりたがっているというのだ。
デュベールは申し入れを受けて立ち、明朝にそこから見える松(パイン)の下で戦おうと提案する。
デュベールはアデルの叔父である元王党派軍人のシェヴァリエにフェローとの因縁を打ち明け、驚かれる。
「なんということだ! なんと恐ろしく歪んだ男らしさ(horrible perversion of manliness)だろうか! (フランス)革命が全世代にもたらした血塗られた狂気がこんな非人間性を生じさせたに違いない。あなたの敵対者とは誰です?」
「私の敵? 彼の名はフェロー」
アデルの叔父は決闘を拒絶するように説得するが、デュベールは頑としてはねつける。「噛みついてこようとする犬をどうやって噛まないでと拒むことができるでしょうか」「これは宿命なんだ(It's a fatality)」
デュベールとフェローの五度目にして最後の決闘が始まる。獲物は二発の弾丸が込められたピストル。舞台となる森の中で間合いを測り合う。気がはやったフェローはデュベールの姿を認めるや銃を発砲。一度は勝利したと思い込んだものの、弾は外れていた。デュベールは弾の尽きたフェローの至近距離に近づき、フェローも観念するものの、デュベールが思いがけないことを言い出す。「ルールでは君の命は私のものだ。しかし、今すぐに奪うつもりはない。……君は十五年にわたって名誉(point of honor)のために私の人生を乗っ取った。それはいい。今や私に決定権がある。私は君と同じ原則に基づいて君の人生を扱うだろう。私の選択の限りにおいて、君は私のものだ」
フェローはもはや自殺すらできない。
そうして、デュベールは生かしたままフェローを解放し、アデルと結婚する。
こうして表面上は決闘が終結し、和解がなったかに思われたが、フェローは終生デュベールを恨み続ける。
一方でデュベールは年金を失って自分の面倒を自分で見切れなくなったフェローを密かに支援して生かし続ける。「私の人生でもっとも恍惚たる瞬間は、あの男のおかげだったのではなかろうか?……あの男がなにかにつけ私の心の深い部分(on my deeper feelings)に留まりつづけているのは、まったく途方もないことだ」



感想

・反復されていくうちに当初の目的や意味が擦り減っていきやがて儀式と化していく行為の話が好き。
リドリー・スコットの映画『デュエリスト/決闘者』が好き*1なので、原作の The Duel も前々から読みたかった。ところがコンラッドという大作家の映画化原作のわりに、日本だと訳されていない。けして古びた作家ではなく、最近でも『ロード・ジム』の柴田元幸訳が河出で文庫落ち(元は池澤夏樹の世界文学全集のやつ)したり、光文社古典新訳文庫から『シークレット・エージェント(『密偵』の新訳)』が、幻戯書房から『放浪者 あるいは海賊ペロル』が出たりしている。現在の日本でも愛されているほうといえる。なのに The Duel はいっこうに訳される気配がない。
・訳されない理由のひとつには三万ワード程度という中途半端な長さもあるだろう。さすがに短編というのは無理があるけれど、中編にしたってやや長く、長編にしては足らない*2要するに、短編集に入れるにしては長すぎて、単独で一冊の本にするには短すぎる。
・もうひとつには、 The Duel はあんまり現地の評判がよろしくない。前述の秋葉敏夫の論文によると、出版当時の書評ではのきなみディスられ、褒めてくれたのはコンラッドの師匠であるエドワード・ガーネット*3くらいだったらしい。現在でもそんなに評価は変わってないとか。秋葉の評価もそんなによくない。
・とはいえ読んでみるとけっこうおもしろい。一種の異常恋愛譚のようなものだからかもしれない。ささいなことからガスコーニュ出身の粗野なフェローが、理知的で冷静で組織ウケのいいデュベールに因縁をつけ、決闘し、そこからすさまじい執着を示し出す。迷惑がりながらも軍人として、男としての名誉を守らなければならないデュベールは決闘を受けて立つうちにフェローに対して友情とも違う不思議な感情を抱くようになり、やがては彼の命を救う。しかも、二度も。だが、彼らが和解する日は来ない。ふたりが決闘を繰り返す理由は一から十までよくわかんなくて、でもその感情の名指せなさがいい。こういう関係でも intimate って使うんだ。
・背景としてナポレオン時代の描写が色濃い。ちょうどナポレオンが皇帝に即位したあたりから没落し、亡くなるくらいまでの期間。デュベールたちは軍人なのでヨーロッパ中を転戦し、若くして出世していく。やがて、ふたりは「王党派」と「ボナパルティスト」に(ふたりとも本来後者なのだが世間的に)それぞれふりわけられ、それがその後の運命を変えていく。しかし、あくまでふたりの人生の中核に置かれているのは決闘=ふたりの関係なのであって、革命が起きようと政権が変わろうと本質の部分ではあまり関係が無い。こういう大きな歴史に翻弄されているようで、窮極的には個人的な関係を優先するすがすがしさが好ましい。
・ちなみに本作にはベースになった話がある。やはりナポレオン時代の軍人だったピエール・デュポン(Pierre Dupont de l'Étang)とフランソワ・フルニエ=サルロヴェーズ(François Fournier-Sarlovèze)で、前者がデュベール、後者がフェローのそれぞれモデルだった。彼らのエピソードはだいたい The Duel の筋といっしょで、上官からの命令を伝えに来たデュポンに対しフルニエがキレて決闘を申し込み、その後数十年に渡って決闘を繰り返した(十九年間で三十回以上)末、最終的にピストルの決闘で勝利したデュポンがフルニエに二度と自分につきまとわないように約束させ決着したという。ちなみにフルニエはナポレオンの不興を買って投獄され、百日戦争にも参加しなかったため、ルイ十八世の王政復古政権下で騎兵総監になっていたので、ここは The Duel と異なる。ついでにいえばデュポンも敗戦に怒ったナポレオンによって七年も収獄されており、ナポレオン追放にともない釈放されて陸軍大臣となっている。そんな地位も名誉もある方々がなんで何度も決闘を……という気持ちになるけれど、まあアメリカの大統領からイギリスの首相まで決闘しまくっていた時代(しかも決闘したいから決闘するみたいな人もかなりいた)でもあったから、彼らが決闘すること自体はさして特別でもなんでもなかったのだろう。回数が異常だっただけで。
・作中で point of honor ということばが二回出てくる。point of honor は The Duel の別題でもあった。
・最後の決闘シーンでデュベールが決闘前にオレンジを食べている。これはプーシキンの『オネーギン』のオマージュらしい。『オネーギン』には主人公が親友を決闘で殺してしまう場面がある。
リドスコの映画版はおおむね原作のあらすじをなぞっているものの、原作におけるデュベールの妹(映画では姉になっている)の存在感がやや薄れ、代わりに(?)ローラという酒保女が出てきてデュベールとフェローのあいだに挟まる。
・そのリドスコの次回作はナポレオンの話らしい。『最後の決闘裁判』といい、ここのところ原点回帰というか処女作回帰しつつあるような。
・さすがに長過ぎて読むの大変だったので今後はこの長さのものを扱いたくない
著作権切れてるんだから誰か訳してくれ


*1:「『バリー・リンドン』になりてえ〜」という若いリドスコのストレートな憧憬が顕れているところもほほえましい。リドスコでいちばん好きなのは『キングダム・オブ・ヘブン』ですが

*2:部門をワード数で分けているヒューゴー賞の規定を見てみても、三万ワードというのは、一万七千五百ワードから四万ワードのあいだで区切られている Novella 部門に該当する。長編 Novel (四万ワード以上)と短めの中編 Novelette (七千五百~一万七千五百ワード)のあいだだ。テッド・チャンでいえば「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」や「あなたの人生の物語」あたり。別にテッド・チャンじゃなくてもいいのだけれど。

*3:『狐になった奥様』や『長靴を履いた猫』のデイヴィッド・ガーネットの父親