最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Ling Ma, "Los Angels"(2022)

ここには百匹の元カレペンギンがいます!!!!!!!!!!!!

【概要】

・4200ワードほど
・初出は Granta
granta.com

アメリカ文学研究者の矢倉喬士が紹介していたので知った。

・投資会社に勤める夫、6歳の息子、7歳の娘、そして100人の元カレと暮らす語り手の物語。途中で元カレの一人が脱けたりなどの展開はあるものの、話自体は抽象的で寓話性が強い。
・著者のリン・マーは中国生まれのアメリカ人。シカゴ大卒。昨年に日本でもパンデミック小説『断絶』が藤井光訳で出ていた。わたしは未読。


【あらすじ】

・こんな書き出しから始まる。「わたしたちの家には三つの棟がある。西の棟にはわたしと夫が暮らしている。東の棟には子どもたちとベビーシッター*1がいる。そして、家の裏から折れた腕のように伸びている、いちばん大きくていちばん醜い棟には100人のわたしの元カレが住んでいる。みなLAに住んでいる。」
・語り手は毎日100人の元カレと遊びに出かけてバーガーを101個注文したり、美術館の入場チケットを101枚買ったり、バーニーズやコリアンタウンへ押しかける。勘定はすべて語り手の夫のクレカに回される。
・投資会社に勤める夫。語り手との会話がふるってる。

Hi honey, I say. How was your day?(「おかえり、ハニー」とわたしは言う。「今日はどうだった?」)

$$$$, $$$ $$ $$$$, he says. $$$$$$$$$$ $ $$$.(「$$$$, $$$ $$ $$$$」と夫はいう。「$$$$$$$$$$ $ $$$」

Well, did it go up or down?(「へえ、それで(株価は)上がったの? 下がったの?」)

$$$ $$$$$ $$.(「$$$ $$$$$ $$」)

Does that mean you’re working this weekend?(「今週末も仕事ってこと?」)

$.(「$」)



・とはいえ語り手は夫の存在を心地よく感じ、愛してもいる。「夫は安らげる場所。彼は椅子のようなものだ」

・子どもはふたり。6歳の息子と7歳の娘。元カレたちは交代で子どもたちに色んなことを教えている。

・100人の元カレのなかでいちばん語り手にとって重要なのはアダムとアーロンのふたり。なぜこの二人が最重要かといえば「アーロンは本当に愛したひとだから。アダムはわたしを殴ったひとだから」

・あるとき、アーロンが突然「ここを出ていく」と言い出す。「みんなオーバーステイしてるんだよ」
 アーロンは語り手に車を出してもらえるかと頼み、語り手が運転手役をする。行き先は聞かされない。その途中で付き合っていたころの思い出の場所を通り過ぎてはそのころの記憶を呼び覚ます。
 語り手はひきとめたくて「夫の家に移ってもいい」とまでいうが、アーロンは首を振る。
・「彼はかつてこう訊ねてきた。きみの感情が本物かどうかなんて、どうして僕にわかるんだ?
  本物だよ、とわたしはいった。
  かもな、でもどうやって僕にわかる?
  だってほんとうに本物だから! とわたしは言ったが、彼はなにも返さなかった。そうして、最終的にわたしはこういった。わからない。」
・空港の国際線ターミナルに到着。ふたりはハグしあって別れを告げる。

・元カレは99人に減った。ある日、語り手が大量に部屋がある元カレ棟を掃除していると、「¢¢ ¢¢¢ ¢」という小さな音がどこからか聞こえてくる(「それはデリケートで子鹿のように繊細な涙が、白い雪の筋の走るごつごつとした山肌を流れおちる音だ」)。49番目の部屋で見つけたのは夫だった。どうも弱っているようだ。語り手は夫とのマッチングサイトでの出会いや最初のデートのことを思い出す。
・夫との会話中に玄関のベルが鳴り、出るとLAPDの警官が立っている。DV事件の容疑者であるアダムを追っているという。アダムには他にも余罪があるのだとか。警官が家に立ち入ろうとするが、語り手はかばおうとする。しかし、子どもたちが「アダムはお外にいるよ!」と叫び、それをきっかけに家族全員と警官が満月の夜を疾走する。
・語り手は木の陰にいるアダムを発見する。そのとき、自分がひとりで無防備であることに気づいて急におそろしくなり、アダムに対して「やめて!」と叫ぶ。アダムが顔色を変えて遁走し、また語り手は彼を追いかける。「本当に、心の底から彼を捕まえたい。この歯で彼をかみ砕きたい。彼のうえに嘔吐し、胃酸まみれにしてやりたい。彼の中に百万人の赤ん坊をはなち、その育児をすべて背負わせたい」
・「彼のシャツに手が届きかけ、ほとんど触れそうになる。私は彼の肌の温かさを感じることができる、彼の汗の酸っぱさを嗅ぐことができる。彼はわたしの手の届かない先へ跳ぶ。

 でも、わたしは近づいている。かぎりなく近くにいる。」

【感想】

・百人の元カレというコンセプトがとにかく強烈。石塚祐子の『犬マユゲでいこう』で昔見た、『かまいたちの夜』の主人公とヒロインの名前を「○○と百人の忍」とかに変えて勝手に登場人物を増やして場面をシュールにするという遊びを思い出した。『スコット・ピルグリム』っぽくもある。
・とはいっても劇中で言われているように主にアダムとアーロンのふたりにフォーカスされていて、他の元カレたちの出番はそんなにない。
・寓話性が高いと概要欄に書いたけれど、この話の寓意は作中でわりとはっきり宣言されている:
「わたしは自分の哲学を磨き上げた。すなわち、生とは時間の流れのなかに存在することだ。想起とは時間を否定することだ」
 つまり、「100人の元カレ」は過ぎ去った思い出(愛)のメタファーだ。そこに実体を持たせたところに奇想があるのだけれど、そういうものとして読むと元カレの思い出に恋々と縛られたつつも夫は夫で好きですみたいな女の話に読める。人間は過去と現在を完全に分けていることはできず、過去は現在に混じり、現在は過去に混じる。そういうものなのだと。その狭間で自分に暴力を加えた相手に対する感情すらも秒単位で変化し、曖昧になり、定義不可能な何かへなっていく。
・投資会社に勤める夫のセリフが全部「$」なのはすごい。小声になると「€」に変化する。夫に対する皮肉なのかな、と一瞬おもったけれど、語り手と夫の関係は良好だったりする。
・プロットはあまり有機的な脈絡がなくて、ぶつ切り感も強い。「想起」とはランダムな現象だといいたいのかもしれないけれど、あんまりうまくまとまっていない感は否めない。まあ入り組みすぎて読みにくいというほどはない。
・文体はけっこう好きかもだし、『断絶』も読んでみたいですね。

*1:au pair。辞書的には単なるベビーシッターではなくて、子どもの世話をしてくれる外国人留学生という意味