最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Chuck Palahniuk の創作指南本 "Consider This"の序盤メモ

ペンギンたちのファイトクラブ

本書の概要

・正式なタイトルは"Consider This: Moments In My Writing Life After Which Everything Was Different"
・まだ全部読んでないので概要もなにもないのだけれど、とりあえず、今のところはパラニュークの創作指南本。指南の合間に個人的な回想が混じる。
・目次を見ると指南項目は概ね「Textures」(文章の感触の操作)、「Estalishing Your Authority」(読者からの信頼の得方)、「Tension」(緊張感・緊迫感の出し方)、「Process」(アイデアを生み出すための思考法・心得・生活)、「WHY」(「なぜそれを書くのか」考える)に分かれ、ついでに「Reading List」というオススメ本リストや「Troubleshooting Your Fiction」という困ったときの処方箋などがつく。
・その合間に「A Postcard from the Tour」というパラニュークによるツアー(アメリカの作家は新作を出すとプロモーションとして全国の書店を行脚し朗読会やサイン会などを行う)の 思い出を語る断章みたいなものが挟まる。
・「Texures」を読んだかぎりだとプロットをどうつくるかとかアイデアをどう得るかみたいな内容よりも、文章テクニックにフォーカスしていて、しかもそれが本多勝一の作文作法とかみたいに一般にわかりやすく通用する文章というよりも、「パラニュークの文章」のためのテクニックという感じ。作家志望者にオススメできるかはわからないが、パラニュークになりたい人にはオススメできる。
・とはいえ、そこから普遍的な教訓を抽出できはする。
・とはいえ、文章テクニックとなるとやはり英語でないと通じない面もあるので、日本語に応用したいときはうまく個々で消化するしかない。
・各テクニックの例としてパラニュークの作例がほぼ必ず出てくるので、パラニュークの自作解説としても読める。
・以下、実質的な第一章である「Textures」パートまでのメモ。もともと自分用にだらだらとったものをT林さんに「吐き出して共有せい」と叩かれて無理やりゲロったものだから(訳:他人に見せるための文章に直すのがめんどくさい)、読みにくいかもしれない。パラニューク自身の発言と自分の思ったことをあんまり区別していない部分もある。あと、たぶん誤訳とかも大いにある。ご注意されたい。文句は受け付けてはいる。

【イントロ】

1988年ごろからパラニュークは複数のワークショップに参加していたという。
アンドレア・カーライルという作家のワークショップで徐々に萎んでいくダッチワイフとのセックスに四苦八苦する若者を描いて提出したが、それを読んだカーライルは「周囲に不安を与えるから」とやんわりと退会を促した(その後『スナッフ』という小説で使われることになる)。
その代わりにトム・スパンバウワー(Tom Spanbauer)のワークショップを推薦される。スパンバウワーのワークショップが開かれたのは廃墟みたいなボロ家で、床は腐っていまにも抜けそうだったという。スパンバウワーは「ブラックベリーの木を切ってゴミ掃除すると絆が深まる」と主張し、執筆や合評以外のアクティビティ(庭を掘ってネコの死体を見つけるとか)も受講生にやらせた。スパンバウワーは変人だったらしく、創作に詰まった受講生たちに占いを行ったり、オススメの霊能者を教えたりしてくれた。
ワークショップ仲間には後に作家デビューする Monica Drake もいた。他にも Stevan Allred, Joanna Rose, Jennifer Lauk などがスパンバウワーの教え子だった。
「そこで行われていたのは授業というよりは対話だった。この本もそうありたい。対話なのだ」

「もし君がわたしのところにやってきて教えられることすべてを教えてくれと頼んできたら、私は出版業界は死にかけの状態で延命装置に繋がれていると答えるだろう。ブレット・イーストン・エリスはもはや小説は文化のメルクマール(a blip in the culture?)として機能していないとわたしに言った。君は遅く来すぎた。海賊版は商売を破壊した。読者はみな映画やビデオゲームへ移ってしまった。わたしはこう言うだろう。『おうちに帰りたまえ、少年!』」
 
 パラニュークはデビュー作で四人の偉大な作家から幸運にも評価されたという。Robert Stone, Katherine Dunn, Thom Jones, Barry Hannah。ストーンにゼルダフィッツジェラルドについてのパネルディスカッションで出会ったときにこう言われた。「あるものを永遠にしたいなら、花崗岩か言葉のどちらかでそれを作らないといけない」

【A Postcard from the Tour(1)】

ファイトクラブ』出版ツアーの思い出。1986年にオレゴン大でジャーナリズムの学位を取ったパラニュークだったが、フレイトライナー・トラックス社のトラック組み立て工として働いていた。
デビュー作でその工場から脱出する夢を持っていたが、シアトルのダウンタウンにあった大手書店チェーン、バーンズ&ノーブルでのイベントは参加者二人、サンフランシスコのリバモアでの朗読会では参加者ゼロという辛酸を舐め、その夢を諦めて工場へ戻った。
地元ポートランドの書店主兼地域書店組合員のボブはパラニュークに作家として生き残るアドバイスをいくつかしていた。「新作を毎年出せ。16ヶ月以上本を出さないでいると、完全に忘れ去られる」「コンマはあまり打つな」「文は短くしろ」

【Texures】

物語を情報の流れ(a stream of information)だと捉えろ。それは絶え間なく変化するリズムの連なりだ。作家である自らをDJのように考えろ。サンプリングする音楽が多ければ多いほど、回すレコードが多ければ多いほど、オーディエンスを踊らせ続けられる。君はムードをコントロールするためのさまざまなトリックを持っている。……私の生徒であるなら、君の思い通りにできるさまざまな情報の『テクスチャ(質感、感触)』を意識してほしい。」

■テクスチャー:コミュニケーションの三つのタイプ

・いきなり理解に自信のないパート。

Description 例: A man walk into a bar.(ある男がバーに立ち寄った)
Instruction 例:Walk into a bar.(バーに寄れ)
Exclamation(onomatope):Sigh.(嘆息を示すオノマトペ
・Description は描写の文で、小説の地の文のほとんどで使われる文のこと。Instruction とは……よくわからなくて、動詞で始まる命令形っぽい文章なのだけれど、単純な命令形だと思っていたら(主語を省いたフランクな文とも)違うっぽい*1。説明書とかの文に近くて、「命令」よりも「指示」に重きを置かれている文のことなのかな? 詳しい人求む。
・「ほとんどのフィクションは Description だけで構成されている。だが、よいストーリーテリングはこれら三つのタイプをすべてミックスできる。三つのコミュニケーション形式を使い分けることで自然な会話のスタイルができる。Description と Instruction を組み合わせ、効果音や感嘆符を句読点代わりにうつ。これが人の話し方だ」
・Instruction は読者に語りかけて、第四の壁を破る。有益で事実に基づいた情報を提示し、作者の兼二を高める。
・パラニュークの「Guts」という短編ではこんな一節がある「コンドームを一パック買ってこい。それを一枚取り出して広げろ。ピーナツバターを塗れ。ワセリンを塗れ。そして、破れ。半分に裂け」
・アクションから切り離され緊張感が生じる。そしてまた出来事の描写に戻る(動詞を並べて命令形で文章を作られる英語ならでは?)
・Description と Instruction のあいだを自在に行き来しろとパラニュークはいう。

■テクスチャー:一人称、二人称、三人称を混ぜる

・「昨日、私(I)はあるバーに入った。なにがいいたいか、わかるだろ。(きみが you)バーに入るときはバーテンダーがいて、ついでにビデオポーカーの機械も欲しがるものだ。男(a man)には気晴らしが必要だからね。仕事終わりにバーに寄って、ペンギンがカクテルを混ぜる姿なんて誰も見たくない」
・この会話文では一人称、二人称、三人称の視点が切り替わる
あらゆる人称のなかで一人称が最も authority を有しているのは、その物語に責任を持つ人物を読者に提供してくれるから。反対に匿名の神の視点から語られる三人称はそうした権威を持たない。
・二人称は聞き手に語りかけ、その物語に参加させる。二人称小説として最も有名な作品のひとつ、『ブライトライツ、ビッグシティ』ではこれがうまくなった。二人称は催眠術めいた効果を持つが、テンポと物語自体のおもしろさに留意しないと、読者をイライラさせがち。
・三つの視点を併用するということは、最終的には一人称で物語を語るということ。しかし、二人称や三人称を使うことで正体不明の語り手の感覚を生み出せる。『ブライトライツ~』における語りは基本二人称だが、語り手の外にあるものを描くときには事実上の三人称となる。
・「もしきみが私の生徒なら、必要に応じて三種類の視点を切り替えるように言うだろう。常にやれとはいわない。権威、親密さ、ペースを適切にコントールできるように使うのだ」
・英語特有のテクニックという側面が強いので日本語には応用しづらいかもしれない。むりやり使うことで文章を翻訳調っぽくできそう。

■テクスチャー:ビッグボイス対リトルボイス

・(例えば映画における)カメラは「リトル・ボイス」で、ボイスオーバーは「ビッグ・ボイス」。
・「記録天使 Recoding Angel」ともいうべきリトル・ボイスは一挙手一投足を描写する。ビッグ・ボイスはその動作についてコメントする。
・リトル・ボイスはシーンのなかの匂いや味や音や質感や行動を客観的に伝える。ビッグ・ボイスは沈思黙考する。
・リトル・ボイスは事実を伝える。ビッグ・ボイスは意味、あるいは登場人物の出来事に対する主観的な解釈を伝える。
・ビッグ・ボイスは異なるメディアという形で劇中に現れることも多い。手紙や日記、小説など。
・パラニューク自身はビッグ・ボイスを取り入れる装置として、キャラクターの生活から生じたノンフィクション的な文章を用いることが多い。『インビジブル・モンスターズ』ではキャラが書いては捨てている「未来からのポストカード」。『サバイバー』では、墜落した旅客機のフライトレコーダー。『チョーク!』では、依存症からリハビリプログラムめいて書かれた「第四ステップ」。いずれも冒頭に置かれているが、すぐに直接的な描写へと移行する。
・しかし冒頭で読者の心を掴むには、ビッグ・ボイスは不向きかもしれない。『グレート・ギャツビー』の最初の章は語り手の失恋についてのとりとめのない描写だし、『ガラスの動物園』冒頭のモノローグもそうだ。語り手の後悔や無垢さに思いを馳せるように受け手に求め、そこから具体的な描写に入ってどのように心が傷ついていったかを示す。
ヴィクトリア朝時代の小説は冒頭によく「ポーチ」をつけた(put a porch)。たとえば、「それは最高の時代でもあり、最悪の時代でもあった……」といったように。しかし、現代においては商業的にあまりうまくいかないだろう。(『グレート・ギャツビー』の語り手である)ニック・キャラウェイにはすまないが、独りよがりな失恋についての草食系男子のマンスプで心掴まれる読者は少数派だろう。
最近はリトル・ボイスから始まる物語が多い。死体を発見したり、ゾンビに襲われたり。あきらかに「冒頭で心を掴む」ように作られた(gripper)映画の影響。トム・ジョーンズがいったように「アクションはそれ自体が権威 authority を持っている」
具体的な動詞は海外の翻訳者にもウケがいい。アクション映画のアクションのように、フィクションの動詞は他の言語へ移し替えられたときにも効果的に作用する。キスはキスで、ため息はため息だから。
・第二章でビッグ・ボイスを使うということ。たとえば『インディジョーンズ』の冒頭でアクションを展開した後で、第二章では退屈な講義シーンが挟まる。
・ビッグ・ボイスは必ずしも言語で表現されるとはかぎらない。絵画や建物でも表現されうる。
・「もし君が私の生徒なら、ビッグ・ボイスで哲学的なことをいうのは最小限にとどめろと私は忠告するだろう。ビッグ・ボイスを使うたびに、読者をフィクションの夢からたたき出してしまう。多用すると、物語の勢いを鈍くしてしまう」
・短い間だけでもビッグ・ボイスにスイッチすることで効果を生む場合がある。アクションシーンの合間にいれてテンポを調整したり、以前の行動を簡単に要約したり、気の利いたミームを生産したり。

■テクスチャー:アトリビューション(帰属の表示)

・ここでいうアトリビューションとは、ダイアローグに挿入される、「誰がその発言をしたか」を示す小さな目印(signposts)のこと。下の例における、she said, とか he asked, とか。
・例1。「この車を止めるような真似はしたくないの」と彼女は言った。("Don't make me stop this car," she said.)
 例2。彼は言った。「ずいぶんお高くとまったもんだな、まるでロス・ペロー*2気取りじゃないか」(He asked, "Who died and made you Ross Perot?")
・ページ全体にわたってアトリビューションのないセリフが続くと、読者は誰が何をいってるかで混乱する。
ジェスチャーやアクション、表情などをダイアローグと組み合わせると理想的。
・「なによりもまず、読者を混乱させないためにアトリビューションを使う。ただし、読者が自分をバカみたいに感じさせるようなことは絶対に避けること! 読者を主人公よりも賢いと思わせるくらいでちょうどいい。そうすれば、読者は主人公に共感し、そのキャラを好きになる。風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラは実際チャーミングでスマートで、自分が美人であることに自信を持っている、という、読者からしたら憎たらしく感じられるキャラであるはずなのに、ことレット・バトラーとの恋愛に関してはすさまじくおっちょこちょいであり、そこで私たちを夢中にさせてくれる。見下すような覗き方で、彼女にもっと賢くなってほしいと願わせる。」
・なので、ながぜりふの応酬で読者を迷子にさせる前にアトリビューションを使え。というか、ながぜりふの応酬はそもそもやらないほうがいいと思われるのだが、それは今はおいておく。
アトリビューションを使って「無」のビートを作る。読者は「と彼は言った」を(脳内で)発音せず、視覚的には飛び越えるように、その後に続くセリフをより強く感じ取る。
例:「看護師さん」と彼は言った。「急いで新鮮な膵臓を持ってきてくれ」
・アトリビューションによってドラマチックな「タメ」を作ることができる。セリフに重み付けができるのだ。
・発言内容に強弱をつけるために使われる行動のアトリビューション。
例:「コーヒー?」背を向けたまま、彼女はふたつのカップをコーヒーで満たし、エレンのカップに青酸カリを落とした。「新しいフレンチローストよ、気に入るとおもう」
例2:「吸血鬼だって?」デクランはにやけ笑いを浮かべつつも、手を子どものころ十字架のペンダントをつけていた胸に当てていた。「バカらしい」
・身振り手振りと言葉を組み合わせて緊張感を出そう。あなたのキャラには手足もあれば顔もある。それでセリフの伝達をコントールするのだ。行動によってセリフを補ったり、否定したりする。実際の人間も言葉で伝わるのは二割足らずで、残りはすべて身振りや声のトーンや声量によって伝達されるのだから。
「要するにセリフはもっとも頼りないストーリーテリング・ツールなのだ」。師匠のトム・スパンバウワーはこういった。「言語は私たちの第一言語ではない」。
・「もしあなたが私の生徒なら、あなたが毎日使っている非言語的なさりげないジェスチャーのリストを作るだろう。親指を立てるとか、親指と人差し指で「オーケー」のわっかをつくるとか。拳で額を軽く叩いて何かを「思い出す」そぶりをするとか。」
・最後の助言はボディランゲージを多く使うアメリカ人らしいアドバイス。とはいえ小説に限って言えば、日本語でも有効かもしれない。宮内悠介はやはり似たようなジェスチャーのリストを作っているらしいし。

■テクスチャー:言うことがないときになにを言ったらいいのか?

・「現代人はミュージックビデオなどのせいで鈍いバカになったと議論されることがあるが、私にいわせれば彼らは歴史上もっとも洗練されたオーディエンスだ。わたしたちはかつてないほどの大量の物語と、多彩な物語形式を摂取してきた」
現代の観客にはだかだらと書き連ねるよりも映画のように(この本で何度も繰り返されるフレーズ)すばやく展開する必要がある。
・人間は現実でも会話の隙間を埋めるために「Whatever.(なんにせよ)」とか「Let's agree to disagree(賛否はどうあれ)」などのあまり意味のないフレーズを反復する。パラニュークも『ファイト・クラブ』(の短編版)ではルールの繰り返しや、『インヴィジブル・モンスターズ』での「Sorry, Mom. Sorry, God」のように繰り返しフレーズを挿入する。こうしたフレーズは物語の継ぎ目を隠すことに役立つ。そのキャラクターにふわしい「コーラス」を考えよう。こうしたフレーズで無理矢理物語を薦めて、未解決の事柄を増やしていき、緊張感を高められる。
・フレーズの反復は過去の出来事を呼び起こすことにも役に立つ。
・グループの内輪で使われる造語。こうしたことばはそのグループのアイデンティティを強化するのに役立つ。
・自らの生活を通して代用語*3をリストアップしよう。あるいは他の言語や文化圏にも見いだすこともできるかもしれない。そうした言葉をあなたのフィクションに使おう。フィクションを映画のように編集しよう(Cut fiction like film)

■テクスチャー:時間をどう経過させるか

・作中時間の経過を示す最も基本的な手法は、時刻(日時)を記述すること。パラニュークはこれは「退屈」と切って捨てる。
・もうひとつは点った街灯や、子どもを夕飯に呼ぶ母親たちの声といったものを描く。これもパラニュークは「読者の興味を失うリスクを犯したいのなら、使ってもいいだろう」と皮肉る。
・よいオプションとしてはモンタージュがある。ルーティンとなるようなシーンを挿入したり、わかりきっている描写を簡潔にまとめて圧縮する。
・インターカット。フラッシュバックなどを用いながら、交互に場面(時間)を切りかえる。切り替え時に以前の切り替えポイントから正直に再開する必要は無く、多少時間を飛ばしたところからリスタートしてもごまかせるのがミソ。群像劇なら、キャラクターが障害となるイベントにぶつかるたびに別のキャラクターへ飛ぶ手法も有効。
・(前述の)ビッグ・ボイスとリトル・ボイスの切り替えのときに時間をカットできる。俯瞰するようなナレーションを入れた後、主人公にカメラが寄ると、前の場面から時間的に飛んでいる、といったような。
・「もしあなたが私の生徒なら、時間の経過を暗示するスペースブレイクの使い方を教えるだろう」
 スペースブレイクとか小説のシーンの合間に挿入される(一行〜数行分の)空白のこと。ラニュークの聞いたところでは初期のパルプ小説から始まった手法だそうで、そうした小説は誌面を節約するため章立てではなく(章から次の章へ移るときにものによってはページ単位の空白が生じる)、スペースブレイクのような短い区切りをいれていた。パラニュークの Beautiful You で章立ての代わりにスペースブレイクを使ったのは大衆向けペイパーバックポルノのスタイルを意識したためという。
・パラニュークはスラッシュフィクション*4から短い段落ごとや一文ごとに空白行をいれるホワイトスペースの手法を学んだ。
・パラニュークが作家仲間から聞いたところによると、作家でアリゾナ大学の修士課程を教えていたジョイ・ウィリアムズはワークショップで提出された小説を読んで「ホワイトスペース……作家の偽りの友だね」とぼやいたという。
スペースブレイクやホワイトスペースが批判にさらされがちなのは、スペースのあとも場面や時間やキャラクターなどが切り替わることなく同じ要素を語りつづけがちなため。それは単調な印象を与える。メリハリが大事で、誰かの一日の出来事をカットするために多様するよりは離れた時代にいる人々を描写することなどに使ったほうがよい。
・スペースブレイクは補助輪のようなもので、パラニュークは慣れたらやめることを推奨している。

■テクスチャー:リスト(羅列)

・『グレート・ギャツビー』の第四章の冒頭(招待客のリスト)や、ナサニエル・ウエストの『イナゴの日』の第十八章(映画のセット)のような羅列のこと。
・パラニュークは『イナゴの日』の第十八章を読んだら、『ラスト・タイクーン』の地震&洪水(地震でスタジオの送水管が壊れて洪水状態になる)のシーンと読み比べてみようという。どちらも似たような時代のハリウッド・スタジオでの場面。
・「羅列は視覚的にページを分割する。強制的に一単語一単語を読ませるように仕組むのだ」←結構飛ばす人多い気もするけど。パラニュークにおける代表例はもちろん『ファイト・クラブ』のイケアの家具のくだり。あれは著者的にも大好きだという。
・「だから、羅列しろ。使え」

■テクスチャー:ルールの反復を通じて社会モデル(Social Model)を描く

・子どもはルールを決めてごっこ遊びをやる。「世界は彼らが相互に合意したとおりのものになる」。そうしたコミュニティやグループが描かれたお話は読者の大好物。
・自分たちで作り上げ合意したルールによってつながる小説の成功例としては『キルトに綴る愛』、『ジョイ・ラック・クラブ』、『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』。女性たちの物語が多い。男性たちの話は少なく、『いまを生きる』や『ファイト・クラブ』くらいか。←日本では映画版の方が有名な作品群だが、いちおう小説の翻訳も出ている。
・「思うに、人々には仲良くなる方法(how to get along)がわからないのだろう。彼らは構造を、ルールを、演じる役割を必要とする。一度それらが確立されれば、人々はつながり、各々の人生を比較することができる。お互いから学ぶことができる」
スパンバウワー曰く「作家が書くのはパーティに招待されなかったからだ」。読者もまた孤独であり、社会的に不器用で、生きづらい人生を送っている可能性が高い。そういう人間は他者と共にある方法を教えてくれる物語を渇望している。パラニュークの小説にこの手の話が多いのはまさにそのため。
・一度ルールを作って、それを繰り返すとある種の枠組みが与えられ、キャラクターは振る舞いのやり方を覚える。それによりリラックスし、自己開示を始められるようになる。
・「読者は孤独な娯楽であることを認識しよう」。物語を作るときにシャイにならず、儀式やルールや祈りのことばを創ってみようとパラニュークはいう。メンバーに役割をあたえ、聖句を暗唱させる。コミュ二オン(カソリックの各種儀式)や告解といった、人々が自分たちの物語を語り、他者とつながるための方法をうまく自分なりに取り入れてみよう。
・儀式的要素の効果を高めるために「テンプレート」となるチャプターを導入してみよう。このテンプレート・チャプターを物語のなかに等間隔に(細部はそれぞれ変えて)三つ置く。この密やかな構造の反復が読者に啓示を与える。
・「儀式と反復を使って読者のために新しいなにかを創りあげよう。読者が真似したり見習ったりできるキャラクターを読者に与えよう」
ラニュークが自作の共通テーマを語っているかなりクリティカルなパート。

■テクスチャー:パラフレーズかクオーテーションか(セリフでカギカッコを使うかどうか)

・セリフを引用符(日本語だとカギカッコ)で括ると、発話しているキャラにリアリティを与えることができる。逆に使わずに地の文に溶け込ませるとその人物を感覚的に遠ざけることができる。
例1:私はその箱を隅に置くよう、かれらに言った。
例2:私はかれらに言った、「その箱を隅に置いておいて」
・『ファイト・クラブ』ではナレーター以外のすべてのキャラのセリフを引用符でくくった。タイラー・ダーデンがリアルに感じられたのもそのおかげ。
・ある人物の発言を弱めたり否定的にしたければ、引用符をつけないようにしよう。
・初登場のキャラを紹介するときは引用符をつけ、アトリビューションを挿入する。セリフに加えてジェスチャーでキャラをさりげなく提示する。ささやかであるが、効果はある。


元の本。


ラニューク最新作にして日本では超ひさしぶりに出た翻訳。Consider This を知ったのも訳者(池田真紀子)の後書きで言及されてたところから。
早川書房的には『インヴェンション・オブ・サウンド』の売上次第で今後パラニュークの新刊を出せるかどうかが決まる的なことをこの前の刊行記念イベントで言ってたので、パラニュークの創作指南本を日本語で読みたい人は『インヴェンション・オブ・サウンド』を百冊買え。私は電子と物理で一冊ずつ買いました。

*1:たしかにパラニュークをはじめとした英語圏の小説でよく見る構文で、翻訳でも「〜しろ」と書かれることが多いようで、一人称の場合なんかはその語り手の内言として処理されがちではあって、そういう点では命令形なのかなと理解していたけれど、どうもパラニュークの言っているニュアンスとは微妙に違うような気がする

*2:アメリカの実業家兼政治家。政治家時代には無所属での大統領選出馬を表明して一時支持率トップに躍り出たり、アメリカ合衆国改革党を結党するなどして、二大政党の外から政局をかき回した

*3:laceholder 「例のあれ(thingy)」や「誰かさん(what's-his-name)」などの言葉。【英辞郎

*4:ある作品のファンが制作する二次創作(ファンフィクション)のなかでもキャラ同士の関係を描いたもの、特にいわゆるBLを指す