最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Ian McEwan, "A Duet" from "Lessons: A Novel"(2022)

・8780ワードほど。短編じゃねえ。それもそのはずで9月に出版される『Lessons』という長編の一パート(冒頭部)らしい。非常にまとまりがよいので短篇としても十二分に読める。だから中篇だっていってるじゃん。
・初出は The New Yorker。
www.newyorker.com

あらすじ

・バーナーズという全寮制男子校に通う14歳の少年ローランドには初恋のひとがいた。数年前までピアノを習っていたミス・ミリアム・コーネルだ。バーナーズに入って以降、彼女とはたまに姿を見かけるぐらいで疎遠になっていたものの、彼は十二歳のときに交わしたランチの約束を忘れていなかった。
・1962年10月、キューバ危機が出来し、学校の生徒たちはその話題で盛り上がる。だが、「教師たちは危機に言及せず、そのことに少年たちも驚かなかった。学校と現実は別々の国だったのだ」。授業は通常通り行われる。
・しかし、核戦争が現実味をおびるにつれ、当初恐怖していたローランドの興奮は冷めていく。彼の恐れで残ったのは初恋(というか初体験)を手に入れられずに死ぬことだった。
・10月27日、キューバ危機はいよいよ破滅的な局面を迎えつつあった。今にも核戦争が始まるかも知れない。ローランドは学校を抜け出し、二年前の昼食の約束を果たしにミリアムに会いに行く。

「二年ぐらいの遅刻ね。ランチは冷めちゃった」
 彼はいそいで言った。「居残り(detention)が長引いちゃったんです」

・ローランドはミリアムに招き入れられ、近況を訊ねられる。彼はうまく話せないが、ミリアムのほうではよく知っていた。
「七年生になったそうね」
「うん」
「マーリン・クレア(ローランドのバーナーズでのピアノ教師)があなたの視唱を褒めてた」
「そうなんですか」
「それで、私とデュエット(連弾)するために自転車でここまで来たってわけね」

【編集していたら終わりまでのあらすじを書いた数千分のログが吹き飛んだのであとはやる気の無い感じで要約します】
モーツァルトの「四手のためのピアノソナタ ニ長調」を弾く。連弾は不調で、第三楽章までひけない。そのあとミリアムから誘ってセックスする。ローランドはミリアムのコテージに留まりたがり、ミリアムからジャガイモの皮むきや落ち葉掃きなどをやらされたあと、汚れた服を洗濯機につっこまれ、ミリアムの女物の服を着させられる。遅めの昼食を取ることになり、ふたりはキューバ危機について話をする。
ミリアムは「あんなのは子どものケンカ」とロシアとアメリカ両陣営に対して怒りを表明する。心残りである初体験を終えたことで特に恐怖もなくなっていたローランドだったが、いちおう怖がってるふりをする。「じゃああなたを安心させてあげる」とミリアムはローランドを二度目のセックスに誘う。そして、ふたたび同じ曲を連弾し、今度は第三楽章まで到達する。
 翌朝ローランドが目覚めると、キューバ危機は去っていた。ミリアムが「安心した」というと、ローランドも「僕も安心した」とうそをつく。
 最後のパラグラフ(むちゃくちゃいい)は「ミリアムによっていかに人生を狂わされたかを、ローランドが三十年後にようやく悟るだろうが今このときはわからない」的な話がなされる。「世界は続き、彼もまた消えずに続いていく。彼は何ひとつする必要がなかった。」


感想

・「少年が謎めいて理想化された憧れのお姉さんと初体験しました」という普通に書いたら中年向けポルノか?みたいなあらすじなのだけれど、それをキューバ危機の終末感とシンクロさせたり、他にも随所に技巧を凝らすことによってなんだか良い感じにおもしろい「文学」に仕立て上げている。このいやらしいテクニカルさがひさびさにイアン・マキューアンってかんじ。
・ローランドはミリアムに三回「二階(upstairs)」へ誘われる。一回目は初めてのセックスのとき。二回目は落ち葉はきが終わって服が汚れてしまい風呂に入るように促されたとき。三回目は二度目のセックスのとき。いつもミリアムは先に下に降りる。
・ミリアムは完全にリードする役。それは劇中で最初にミリアムが登場するシーンでも色濃く示唆されている。上のあらすじ部を参照いただきたい。いただきましたか。どう思いますか。私はこう思いました。このあざとさはすごい、と。「隣のお姉さん」のイデアか? こんなもん天下の『ニューヨーカー』に載せて大丈夫?
 ・最初の連弾のときも弾く直前になって「位置を交換しましょう」と言い出して右左でポジションを入れ替える。風呂で服を脱がせるときも「割礼はしたの?」と訊く。ローランドは「はい、あ、つまり、いいえってことです」としどろもどろになるが、かまわずスパッと「いずれにしてもお風呂でちゃんと洗いなさい」と告げる。セックスも手取足取り教える。「それは(セックスというより)むしろ母子の抱擁のようだった」。
モーツァルトの「四手のためのピアノソナタ ニ長調」。第三楽章まであって最初は呼吸が合わずになんか第二楽章までで終わるんだけれど、セックスしたあとは第三楽章まで弾けるようになる。こんなわかりやすくてズルい対応ある?
・ローランドは初めてのセックスを終えて、コテージに留まると決めたのち、強烈に学校へ戻りたくなるが、ミリアムと話したりまたセックスするうちになぜ戻りたくなっていたんだろうと感じる。同じ時を過ごすうちに一体感を感じるようになったのか。
・一体感といえば、ミリアムの服を貸してもらうシーン。灰色のセーターとベージュのスラックス。意外とローランドの身体にフィットする。「ふたりとも裸足なのがローランドにはうれしかった」。よすぎないか?
・夜空を見上げてローランドが「第三次世界大戦が起こっても、この宇宙にはなんの影響も与えないだろう」と思うシーン。
・爆弾とセックスのイメージの連結というとピンチョンの『重力の虹』と思い出すけれど、こっちはセックスした結果(結果でもないが)爆弾が落ちなくなる。
・マキューアンの一部作品には特に恋愛譚において女性をほとんどブラックスボックス的にオブジェクティファイする傾向があって、まあはっきり気色悪いんですが、その気色悪さと技巧と超絶エモ文章が組み合わさった結果突き抜けてどこかへ飛んでいってしまうことも希にあって、その極致が『甘美なる作戦』なのだと思います。たぶん自覚的にやっていて、あれ以降はさすがにそこまで見せつけるようには書かずに逆にナチュラルにマキューアンに具わっている気色悪さだけが見えて少しキツいなと思っていたけれど、A Duet を読むかぎりはまだまだその天与は失われていなかったんだなと確認できた。
・ガチガチにベビーブーマーですみたいな大作家たちとは別の意味で、滅びゆく恐竜みたいな人ではある。
・っていうかさあ
イアン・マキューアンって1948年生まれだからこの短篇の舞台になってる1962年だと主人公とおなじ14歳じゃん! ほんとあんたさあ……