最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Weike Wang, "OMAKASE"(2018)

概要

・ボストンからニューヨークへ移住してきた36歳の銀行勤めの中国系アメリカ人女性が、陶芸家(白人男性)の恋人といっしょに新しく見つけた寿司屋に行く。そこで寿司に舌鼓を打つあいだ、彼女は色々なところに自らの体験や家族の思い出とからんで差別(人種や性に関するもの)を見いだすが、口には出さない。だが、最後の最後で寿司職人が口にした「中国人」ということばに反応してしまい「私も中国系ですが」と告げ、場の雰囲気が悪くなる。
帰り道に恋人が「なんであんなこと言ったんだ。あらゆることを個人的に受け止めるのをやめなさい。あんまり考えすぎるんじゃないよ」と彼女を諭す。「気にするな」と。
・会話文はクオーテーションで括られず、地の文とセリフがナチュラルにつながった文体で、主人公の女性は the woman、その恋人は the man とだけ呼ばれる。やや引いた視点。
・6700ワードほど。
・初出は2018年の The New Yorker。
www.newyorker.com

アンソニー・ドーア編の The Best American Short Stories 2019( Mariner Books )にも採られている。本作はO・ヘンリー賞も穫っているのでそのアンソロにも採録されている。
・著者のウェイク・ワンは新潮クレストの公式サイトの紹介によると、「中国、南京生まれ。5歳のときに両親とともにオーストラリアへ移住。カナダを経由して、11歳でアメリカに渡る。ハーバード大学で化学と英文学を専 攻、公衆衛生学の博士号を取得。ボストン大学の美術学修士号を取得するために書いた小説が『ケミストリー』である。2017年に刊行されるとたちまち注目を浴び、全米図書協会の「35歳未満の注目作家5人」に選ばれ、2018年にはホワイティング賞、PEN/ヘミングウェイ賞を受賞。短篇「OMAKASE」は2019年度O・ヘンリー賞を受賞した。」
・『ケミストリー』は新潮クレストから邦訳が出ている。未読。


あらすじ

・「ふたりは今夜、寿司を食べにいくことにした*1」という一文から始まる。
・女は銀行のリサーチ・アナリストで、男は陶芸のインストラクター。ふたりとも三十代後半で子どもを望んでいない。アジア料理が好きで、特に寿司のおまかせコースが好きだった。「ふたりが好きなのはサプライズの要素だった」
・ふたりは以前から目をつけていた、ハーレムの寿司屋に行く。五六人で満席になりそうな、こぢんまりとした店構えに老寿司職人と、鼻ピアスとむらさき色のリップリングをつけた、やる気のなさそうな若いウェイストレスが一人いるだけ。
・ふたりはおまかせで注文。最初に熱い麦茶(the tea, made from barley)を渡される。真牡蠣とペアリングされたものであるという。自分自身もアジア(中国)系である女はウェイトレスの奇抜な格好を見て、厳しい親によって制約されていた自らの子ども時代を思い出す。移民であった両親は唇にリングをつけて帰ってきた娘を見て、即座にそれを外させ、折檻した。そして、リップリングをしているチンピラめいたアジア人はこの国では好意的に見られないと諭す。「もし、彼女がチンピラのような外見なら、大学に入るのが難しくなる。大学に入れなかったら、就職できなくなる。就職できなかったら、社会に入っていけなくなる。社会に入れなかったら、それは刑務所へぶちこまれるのと大差ない」
・ウェイトレスとの会話で彼女にボーイフレンドがいることを聞いて女は驚く。ウェイトレスは高校生くらいに見えるのに、もうボーイフレンドがいる。自分には大学に入るまで恋人なんていなかった。ウェイトレスの両親は移民ではなく、彼女は三世以降なのかもしれないと思う。移民の両親によるガチガチに縛られた教育下で育った親たちが、自分の子どもはのびのびさせてたいと考えて、このウェイトレスみたいな子どもに育ったのかもしれない。あるいは単に養子なのかもしれない。
「彼女はウェイトレスにこう言いたかった。あなたが唇にピアスをして、髪を紫に染められるようになるまでに、私たちがどんな苦労をしてきたか、知らないでしょうね」
・寿司職人が湯飲みの持ち方に口を出してくる。片手の三本の指で湯飲みの口をつかみ、別の手のひらをソーサーみたいに下に添えるやりかたが「ジャパニーズ・スタイル」なのだという(そうか?)
・女は男とのスカイプでの初デートのことを思い出す。白人である彼はチャン・イーモウ監督の『LOVERS』(唐時代の中国を舞台にした武侠ロマンス映画)を観ようと提案する。彼女はもう少しメインストリーム寄りの映画でもかまわないと思っていたが、彼の「親切心」に従う。映画を鑑賞しているあいだ、彼は「この字幕ってセリフを全部正しく翻訳できているの?」と訊ね、彼女はそうだと答えるが、実は中国語音声は半分しか理解できておらず、彼女も字幕を読んでいた。陶芸家である彼は武侠作品や唐時代の陶器については彼女よりはるかに詳しかった。
・彼女は女友達(ほとんどがアジア系)に彼と付き合うことについて相談する。中国人(アジア人)と付き合いたがる男性の性向は「Yellow Fever(黄熱病)」と呼ばれている。彼女はそのミームが好きではない。自分の具えているであろう魅力(attraction)に、罹患すると四人に一人死亡する伝染病にちなんだ名付けをされるのは。女友達たちは考えすぎだよと彼女を励ます。
・彼女は彼に以前の恋人の人種を尋ねる。男は不思議がりながら「背の高いユダヤ人だったよ」と答える。ふたりが映画デートを重ねるうち、彼はもう中国映画を観ようとは言わなくなる。ふたりで行くレストランも中華料理店ではなく、イタリア料理やフレンチや日本料理の店だ。彼女は彼が「普通の男(regular guy)」となっていくことに興奮をおぼえる。
・女は寿司職人と別の客との会話に耳をそばだてる。客は別の日に職人が店内にいるのを目撃していたという。職人はそんなことありえないと断言する。客は強硬に見たと主張し、この店は家族経営で、自分が見たのも職人の兄弟か誰かだったのではないか、という。職人はそれもないという。東京出身という彼は雇われで、その日が出勤初日だった。
 その会話に差別的なにおい(アジア人の顔はどれも同じに見える的な)を感じ、女はやきもきするが、会話が打ち切られたのでほっとする。客の無神経さを指摘するときには雰囲気を悪くしないためにジョークで包まねばならなかっただろうし、「彼女はどんな些細なことでも差別問題化してあげつらうタイプの女にはなりたくなかった。*2
・それはそれとして寿司はおいしい。男は「こんなすばらしい omakase はこの街で一番の寿司屋に行って以来、何年かぶりだ」ともらす。女は、彼は自分と付き合い始めるまで omakase を食べたことなかったくせに、と内心思う。
・寿司職人の身の上話になる。かつては常連客限定の高級スシバーで働いていたがそこをクビになってしまったのだという。クビになった理由を訊ねるが、職人は黙して答えない。
・女は男を両親に初めて紹介したときのことを思い出す。母親は彼の住んでいるニューヨークへ引っ越したほうがいいと助言した。
・ふたりは職人にしつこくクビになった理由を訊く。職人はようやく重たい口を開く。職人が休みを予定していた日に、マネージャーが五十人分のパーティーの予約をとりつけてきた。職人は一人ではさばききれないので応援を呼んで欲しいと頼み、マネージャーも請け合ったが、結局職人以外に誰もこなかった。「そのマネージャーはチャイニーズで、その人が言うには他の職人を呼んでみたけれど来る者がいなかった、とのことでした」
・女は「私もチャイニーズです」とほとんど反射的に告げる。
・男は「職人さんはそういうつもり言ったわけじゃないよ」と慌てる。
・「わかってる、と女は言った。彼女は男を見つめていた。私は職人がそんなつもりじゃなかったのを、わかっている。私はただ、口に出して言いたかっただけなのだ。私も、"そんなつもり"じゃなかった。」
・職人は「Sorry」と謝る。その Sorry が自分が言ったことに対する謝罪(Sorry)なのか、女が中国人であることが残念(Sorry)という意味なのか、彼女は判別できず、どちらなのか問いただしたかったが、狂人のように思われるのがいやで癒えない。「正気でないように思われるのも嫌だったかが、静かで小さい花になるのも嫌だった」「彼女に何が言えるだろう? 職人は六十歳をこえていた。あるいは、彼女がさっきそう聞こえたように、チャイニーズは安物中の安物なのだ」
・気まずい雰囲気になり、ふたりはさっさと会計して店を出る。男は怒って「あれはなんのつもりだ」と女を問い詰める。女は「別にあの人に怒ってたわけじゃない」と返す。
 男は「きみはあらゆることを個人的に受け止めないことを覚えるべきだね(you have to learn not to take everything so personally.)」という。「それにもうすこし自覚するべきだよ」
「自覚って、何を?」
 男はため息をつき、「気にしないで」という。「そして、彼女の頭に手を置き、あんまり考えすぎるんじゃないよと、と言った」おしまい。

所感

アメリカに住むアジア系の女性のアイデンティティとそこから見えるマイクロアグレッションに満ちた世界とがかなりリアルな感じで細やかに提示され、はためには「何事も起こっていない」食事の風景に緊張感を与えていく。その「微妙さ」の手触りが興味深い。基本的に本ブログの「あらすじ」欄ではあらすじといいながら印象的なくだりしか拾ってない(重要な描写でも興味なかったら飛ばす)のだけれど、本作はついつい色んな場面を拾いたくなった。
・彼女自身はふだんは「彼女はどんな些細なことでも差別問題化してあげつらうタイプの女にはなりたくな」いと考えている女性(厳格な両親のアジア的価値観のもとで育てられたので何事にも「控えめ」な性格)なのだが、寿司屋という「アジア」が浮き立つ場にどんどんと吞まれていき、自分でも敏感になっているのではないか、と心配するまでに至る。「考えすぎだよ」「個人的に何でも受け取るのをやめなさい」とは彼女の恋人のセリフなのだけれど、これは差別の定型句*3とよく知られている。その人を「気にする」ようにならざるをえない場に追い込んでいくのが差別の暴力のひとつでもある。
・一方で主人公自身が出会う相手を男性/女性、アジア人/白人、歳上/年下という自分との関係でフレーミングしてしまい、しかし自分はそういうものに囚われたくない、相手をそれで判断したくないと強く願うが(特に恋人との関係で)ゆえに、そこで際限のない疑心暗鬼に陥ってしまう地獄。
・OMAKASE という題名の意味はさまざまに想像できるだろうけれど、それまで社会や親や恋人が与えてきた圧に omakase で身を委ねてきた主人公の話*4、というふうに捉えられた。彼女と恋人は「omakase が好きなところはサプライズがあるところ」と考えている。たしかにこの話、寿司屋という舞台には彼女と恋人にとってのサプライズがあった。特に彼女にとっては波風を立てない人生に突如吹いた風みたいなもので、しかしイレギュラーな出来事はやがては元の日常へ回収されるだろういうことをラストのシーンでは示唆されているように読める。
・「1.移民一世に育てられた(世代) 2.中国系アメリカ人(人種) 3.女性(性)」という複数の属性すべて(主人公自身がそれらに対してままならなさや忸怩たるものを抱えている)にちくちくとしたものが嵐のように襲いかかってくる。寿司のコースというよりは地獄巡りのフルコースっぽいのだが、すべて主人公の手の届く範囲で描かれているのでうわ滑っている印象は受けない。
・ちなみに the woman のプロフィールは多くの部分で(ボストンに居た、アジア系の移民二世、高学歴、パートナーが白人男性)作者自身と重なっているけれど、どこまで自身の体験が反映されているかまではわからない。
・「湯飲み」は a mug 。日本でマグカップというと取手つきのコップをイメージするけれど。そのまんま The mugs that the tea came in were handleless. という一文も出てくる。コップというのは普通取手がついているもので handleless な状態なほうが異常なんだ、という感覚はおもしろい。
「お茶はとても熱かったので、ふたりとも取手のないマグを満足に持ち上げること(pick up)ができなかった」という文章は日本ではなかなか出しできない滋味ある視点。
・寿司職人も男のほうばかりにまともに構って女のほうにはうっすら冷たいという、アジア的な性差別の視点も織り込まれている。
・「壁の穴」という表現について。

the man had described the restaurant as a “hole-in-the-wall."
彼はそのレストランを「壁の穴」だと言っていた。

『クーリエ』誌によると、「壁の穴」とは本来狭苦しい店の表現なのだが、今は同じような意味でもポジティブな文脈で使われるのだそう。「穴場」と言い換えてもいいのかもしれない。そういえば関東圏には『壁の穴』というスパゲティチェーンがありますよね。

・The New Yorker に載せる短編で The New Yorker という単語を挿入してくる遊び心。

・短編集は向こうでも出てないようだけれど、この出来なら単体でもいずれどっかの文芸誌に翻訳されそう。

・自分用のメモから始まったブログなので書き留めたものをノーチェックで流してきたけれど、あんまりだらだらあらすじを詳らかにするのもよくないかなとおもったので、次からはもう少しまとめます。

*1:The couple decided that tonight they would go out for sushi.

*2:She didn’t want to be one of those women who noted every teeny tiny thing and racialized it.

*3:ここはあまりにも定型句そのまますぎるのだが、おそらく作者はあえて「そのまま」おいたのだろう。

*4:彼女はピアスで身体に穴を開けまくったウェイトレスの自由さを羨む