最後の短篇企鵝の剥製

読んだ短篇についての雑な覚書を書くペンギンは絶滅しました。本博物館では、在りし日のタンペンペンギンの姿を剥製によって留めています。

Richard Powers, “Dark was the Night”(2011)

宇宙ペンギン

概要

・8000ワードほど。
・初出は Playboy
・2010年、かつてジェット推進研究所でボイジャーに搭載するカメラの開発に関わっていた元エンジニアの老人ブルーノ・クラニックが認知症向けの記憶増強剤の治験に参加し、その薬の影響(?)で忘れ(かけ)ていた記憶が吹き出しまくり、自らの半生を文字通りの意味で見つめなおす。
・各パートは年(年代)ごとに区切られて、それぞれ治験の一日ごとで想起される記憶に対応している。各パートの冒頭にはブルーノ老人の治験の様子が描かれる。描写的にはなんか2010年から70代のブルーノが過去の自分に憑依して?眺めている感じかな。当時のブルーノと2010年のブルーノの気持ちと記憶が混ざり合いながら描かれている。
・要するに、三人称視点の回想、というあまりポピュラーではないといえばそんな形式。

あらすじ

1946年
ブルーノ11歳で指先を二本切り落とす。叔父さんや両親を巻き込んで大騒ぎ。
指は結局失ってしまうが、快気祝いに父親からアマチュア無線を買ってもらう。少年は世界中の人々と交信するが、ふと地球外からはなぜ声が来ないのだろうと疑問を抱く。それが宇宙への興味の端緒だった。ブルーノはやがて朝鮮戦争後に通信兵として軍に入り、そこで韓国人の妻を娶り、帰国後に大学へ入る。


1962年
27歳のブルーノはジェット推進研究所のビジコン・カメラを制作するチームで働いていた。家に帰って息子たちと戯れる若き日の自分の姿を見つめながら、年老いたブルーノはこどもたちにきみらは月に行くんだと語りかける。


1965-1969年
1964年にゲイリー・フランドロというジェット推進研究所の職員が十数年後に「外惑星がすべて一直線にならぶ」ことを発見し、その配列をいかして(スイングバイで)「太陽系のふちまですべての惑星を訪問できるグランド・ツアー」を考案する(いわゆる、グランド・ツアー計画*1)。しかし計画は困難を極め、ブルーノ個人も職場でうまくいかない状況に陥ってしまう。


1971年
世はニクソン政権時代となり、宇宙開発計画は予算を削減され、規模の縮小を余儀なくされる。グランドツアー計画も頓挫してしまう。


1977年
グランドツアー計画はボイジャー計画へと姿を変え、ボイジャー1号と2号の打ち上げが間近に迫っていた。ブルーノも打ち上げ直前の追い込みで職場に缶詰となり、久しぶりに帰宅すると息子の顔(次男と三男)を取り違えてしまう。
とにもかくにも打ち上げはなんとかなったが、ブルーノは過度のストレスと疲労でまいって休暇を取る。彼はそもそもボイジャーに載せた「余計な荷物」も気に入らなかった。プロジェクトに携わった人々の名前が刻まれたプレート”だけ”なのはそれまでかけてきた労力に到底見合っていなかったし、名高いゴールデンレコード(例のアレ)に至っては「おわらいぐさ」だった。もっとマシなものを載せればよかったのにと家族に愚痴る。三男が、でもどういう結果になるかはわからないじゃないか、と反駁すると、ブルーノは息子を叩いて、Pong に興じる。


1978年
夏、ブルーノは妻や子どもたちとともに一家で北部のシエラ山脈を旅行する。ピューマに遭遇したり満天の星空を眺めたり、大自然とふれあい溶け込む。夜空を眺めているときに、息子のひとりが尋ねる。「ボイジャーは見える?」 ブルーノはわからないけれど、どこへ行くかはわかる、と答える。


1979年
末っ子と食堂で食事をしている最中、食堂のテレビにボイジャーから送られてきた木星の画像が映される。食堂に居合わせ人々は大興奮。息子はパパを誇らしく思う。


2010年
ブルーノと同じ治験を受けていた老女が発作を起こす。看護師は薬の作用ではなく、食物アレルギー?的なものだと説明する。しかし、夜、就寝中に隣室の別の男性も発作を起こす。慌てて看護師を呼びに行くが勘違いだった?*2


1980年代
ボイジャースイングバイを利用しつつ惑星から惑星へと飛んでいく。木星から土星へ、土星から天王星へ、天王星から海王星へ。新発見が続々と届けられる。
一方で大衆の関心はほとんど宇宙から離れていた。チャレンジャー号の打ち上げ失敗事故(1986年)を目撃したブルーノはこれで宇宙開発の夢は絶たれたとおもう。すでに彼も五十代になっていた。太陽系の端に近づくにつれ、ボイジャー計画に関わっていた人員も削ずられていく。


1990年代
妻が家から出ていこうとする。しかし、妻は持ち上げられないほどの重量をスーツケースに詰めてしまい、出ていかれない。そしてブルーノに対して怒りを爆発させる。「ずっとあなたは管制室みたいな人だった」といい、キレた挙げ句「あなたはロボットと結婚すべきだった」と非難する。ブルーノは困惑してうろたえる。結局、彼らは結婚生活を継続する。


2000年代
ブルーノはコダックへ転職し、そこで一眼レフ開発に携わったのち定年を迎える。
2000年代についてはそれくらいしか思い出すこともなく、事実上の2010年代(治験)パートへ多く割かれる。彼は与えられていた治験薬を秘密裏にpH試験紙にかけ、自分が偽薬投与グループであったことを看破する。とめどない回想はプラセボ効果だった。これで回想も止まるだろうと安心して眠るが、すさまじい頭痛で目が覚める。三年前に逝った妻が死の直前に訴えたのと同種の痛みだ。結局それは杞憂に終わり、朝を迎える。彼は元修道女兼元教師の老女と散歩がてら語らう。そして外で流れている音楽に気づき、曲名を尋ねる。老女はスマホの曲名検索アプリ(おそらくShazam)で曲名をつきとめる。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「Dark was the Night, Cold was the Ground」(タイトル回収!)。それはかつてゴールデンレコードに刻まれてボイジャーに搭載された曲だった。
ブルーノは同じくスマホボイジャーが1990年に撮影した最後の写真を呼び出し、老女に見せる。「これは?」
「地球だ。40億マイルの彼方から見た、地球だ」


2029年
ボイジャーはデータを送信しつづけているが、燃料が尽き、残っていた地球のプロジェクトメンバーも完全にいなくなる。ボイジャーは永遠に宇宙をさまよう。


294231年
ボイジャー2号シリウスから四光年の場所に到達。


577256880年
なにもの(正体不明)かによって探査機が発見され、解読され、積んでいたディスクが再生される。

所感

・印象としては構成に反してかなりウェットな筆致。特に妻から非人間的なところをなじられるパートは”昔ながらの”閉じた男性の離人症的感覚っぽくて、こういうとこなんだよな、ってのはおもってしまう。映画で言ったらデイミアン・チャゼルの『ファースト・マン』に似ている。主人公の視野の(意図された)狭さのあたりが。こっちはもうちょっと人間味ありますが。*3
・1957年生のパワーズアポロ11号の月面着陸のときに超ぶちあがった子ども世代のはず。そういう人って1960年生で『アポロ 10号1/2』を撮ったリチャード・リンクレイターみたいに宇宙開発をノスタルジーの対象にしがちだとおもうんですが、パワーズはまあここまで湿っぽくするのかというか。まあいろいろなところでバランスをとってはいるんですけれど*4。過去作見ても自分の生まれたあたりかそれより前の年代を中心にしがちな人ではあるのですが。あまり熱心な読者でないので歴史や過去にオブセッションがあるのか、単に飛距離を出したいだけなのかはわからない。
ボイジャー計画自体がアポロ計画の陰みたいに考えれば、ブルーノに対してずっと鬱憤を溜めていた韓国人の妻もアメリカ的な閉鎖的な男性に歴史の隅へ追いやられてきた見えないマイノリティや国際政治のあれこれとも読めるんだけど、そこまでアレするアレじゃない気がする。息子たちが軒並みコンピュータ・テクノロジー系の大企業に就職するところからして家族回りにも時代性や政治性が反映されているっぽいのだけれど、一方で歴史イベントの列挙するくだりはやる気が伺えなくて、やはり装置として考えているような。
ボイジャー自体は使い古されたネタではあるんだけれど、語りの形式(年代ごとに切り分けられた記憶を飛ぶようにめぐる)とボイジャーの軌道を重ねているのは一段上の使い方というか、ほえ〜〜〜〜って感心した。ラストはやりすぎでしょってかんじはするけれど、ここまできたらやりすぎなくらいでちょうどのいいかもしれません。
・タイトルにまで使っている曲もどこまで本気なのかわからない。
・チャールズ・ユウのときもおもったけど、あんたらカメラ引いとけばどんだけエモくしてもいいって考えてません?
・短篇というには結構長いんで扱いづらいとはおもいますが、やはりこれもどこかで訳されてほしい。単行本は無理にしても、せめて文芸誌に。

・なんかにわかに忙しく(おもに Disco Elysium やあのゲームやらこのゲームやら)なってきたのでこれから更新頻度減ります。といいますか、更新してもケヴィン・ウィルソンの Baby, You gonna be mine にかかりきりになりそう。

*1:日本語版 wikipedia に詳しい

*2:なんか看護師に笑われてるってぽいのだが、よくわからん

*3:ファースト・マン』のアームストロングさんがクールにすぎる人なのでそれに比べればね

*4:ブルーノが最初ボイジャーを批判的に見ていたりとか